国語力と「自ら学ぶ力」の低下に嘆く ~靖国訴訟に見る小泉首相とネットウヨの学力低下~

<首相靖国参拝>小泉首相「違憲ではない、理解に苦しむ」

 小泉純一郎首相は30日の衆院予算委員会で、首相の靖国神社参拝について違憲判断を示した同日の大阪高裁判決について「私の靖国参拝が憲法違反だとは思っていない。首相の職務として参拝しているのではない。それがどうして憲法違反なのか、理解に苦しむ」と述べ、反論した。松本剛明氏(民主)の質問に対する答弁。首相は同日夕、判決が自らの参拝に与える影響を記者団に問われ、「ま、ないですね、(判決自体は)勝訴でしょ」と述べ、否定した。
 答弁で首相は「私は戦没者に対する哀悼の誠をささげるということと、二度とあのような戦争を起こしてはならないという気持ちで参拝している。それが憲法違反であるというのはどういうことか」と判決を批判。年内の参拝の予定については「適切に判断する」との立場を改めて示した。【尾中香尚里】
(毎日新聞) - 10月1日1時29分更新


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 多分日本語読めないんだろうなあ…トモダチのブッシュジュニアも英語分からないみたいだし(*1)。随分前に宮台真司氏が「驚くべきはその国語力の低さ、批判対象にもならない」と切り捨てていたが、まったくその通り。

 「政教分離」の意味すら分からない男が、この国の総理という異常事態。どういう気持ちで行こうが、彼が政治家でいるうちは違憲だ。なぜなら特定の宗教を助長するから。政治家の自由?政治家になった時点でそんなものは無い。辞めてから行け。

 更によく分からないのは、「死者を敬う」はずの参拝なのに、神式で参拝していないという事実。それこそ死者の冒涜だろう。敬う気持ちがあれば神社のルールはどうでも良いということか?なんで真性右翼は怒らないんだ?彼こそ死者を冒涜している。




 そして、判決文の意味も分からず「傍論」という言葉を連呼する人々。
確かに、「ジュリスト」「判例時報」など、ナマの判決文が載っている雑誌は大学生協くらいだし(都会だとそうでもないか?)見たことない人が多いだろう。

 通常、判決文は「主文」と、「事実及び理由」で構成される。
 主文はまさしく「原告の要求を却下する」とか、「被告は原告に対して金員100万を支払え」とか、裁判の結果として原告や被告が何をすれば良いのかという部分だ。
 これに加え、「事実及び理由」が書かれている。主文だけでは、なぜその主文のような結果になったのかがサッパリ分からないから、双方の請求、双方の主張する事実、それに対する裁判所の事実認定と、事実認定に基づいた請求への判断、すなわち「事実及び理由」が加えられる。今回「傍論」と言われているのはココである。法学の世界では主文だけ見て判断することは有り得ず、事実認定は妥当か、事実に対する裁判所の判断は妥当か、という風に見る。

 今度の「事実及び理由」(傍論)では、参拝が公務で、特定の宗教を助長するから政教分離に違反しているから違憲、というようなことを書いていたらしい(判決文原文がないので新聞記事から類推している)。
 勘違いしないで欲しいのは、「主文」に「被告小泉の行為は憲法違反である」とか、そうゆう書き方はしないと言うことだ。
 小泉首相の参拝に対して違憲性を求める訴訟には、「小泉の参拝により精神的損害を受けた」と言う以外のロジックは、法的には存在し得ない。ある政治家の行為や、ある法や行政処分の違憲性について直接問うという法理は日本の法体系にはないからだ。だから訴状で違憲性を問おうが何を書こうが、結局は裁判所は、「小泉の参拝により精神的損害を受けた」と言う部分について、具体的な事実に即して判断するしかない。(じゃあ「謝罪文」とか「謝罪広告」はどうなるんだと言うと、「原状回復」という考え方に則って、被害を回復しているに過ぎない。賠償金も、本来不可逆的な肉体的・精神的損害を金で回復させようとする試みに過ぎない)
 で、その「傍論」の中の具体的な事実認定の部分で、首相の参拝は公務であり、特定の宗教を助長するから違憲、しかし、このことが原告らの精神的損害になるわけではないから(因果関係の否定)損害賠償請求は却下、という判決のようだ。まあ今月1日付けの新聞に本文要旨が載っている筈だから明日職場で読んでみるけど、多分俺の予想通りだろう。


 判決文の構造がわからないと、「主文で勝ったんだから合憲」「いや違憲」という水掛け論になる。まずジュリストか判例時報買って勉強しよう。(大学にいた頃は、データベース使いたい放題で楽だったなあ…http://www.tkclex.ne.jp/index.html)



 例えば、朝日新聞(の引用を使っただけで袋だたきに会いそうであるが、あえて使う)http://www.asahi.com/national/update/0930/TKY200509300136.htmlを良く読めば、明確に首相の行為を「違憲」であると「事実認定」していることが分かるだろう。
 朝日だけだと信じてくれないだろうから(笑)サンケイからも。
http://www.sankei.co.jp/news/050930/sha037.htm
 事実認定で「違憲」と認められたということは、つまり「違憲」なのだ。この意味がお分かりでない人々があふれているようだが、まあネットでは判決文というものがあまり見れないから仕方がない。最高裁HPに下級裁判所も含め少しだけ出ているので(最高裁は事実の判断ではなく法律審なので、最高裁判決だけ見ても大概は意味不明)、読んでみると良いだろう。
 結局、今回の判決は、「違憲であるが、原告らへの利侵害は起きていないので却下」ということなのだ。最高裁のいわゆる「少数意見」とは違う。
 サンケイでは『法に詳しい別の政府筋は「違憲判断は裁判官のつぶやきみたいなもので、極めて恣意(しい)的だ」』などと社説で言っているが、(http://www.sankei.co.jp/news/051004/morning/04pol001.htm)
この「政府筋」は本当に「法に詳しい」のか?最高裁の少数意見と勘違いしたことを祈ろう。あるいはサンケイ記者の脳内政府筋でないことを。


ただ、「上告できない」という政府筋の言い分はある程度理解できる。
何しろ、問題は何一つ解決していない。
最高裁で白黒つけるのはアリだったろう。ただそれは、裁判を支援した者や参加した者
だけが言えるセリフである。外野に言う資格はない。その程度の常識は持っておきたい。


 それにしても、このままでは(国語力の無さか、確信犯なのか知らないが)「傍論だから」と行政府の長が司法判断を無視(本当は傍論も何も判決文中の事実認定)→司法の権威低下、三権分立崩壊になりゃあせんかと心配である。
 
 結局のところ、ある具体的な行政行為や政治家の行為について、直接に違憲性の判断を迫るような訴訟を起こせる法理を持たないと、こうした訴訟は当分終わらないように思える。もっとも、そうした法理を持ったところで何か変わるかはわからない。結局、裁判で原告勝訴しても、世論の後押しがなければ動かないだろうから。最高裁で司法判断が下ったにもかかわらず、「司法と行政は別」と居直る水俣病問題における国のように。


*コメント禁止にします。何かあったらTBで。

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*1ロッキング・オン名物「渋松対談」で、渋谷氏か松村氏か忘れたが、ブッシュが自陣営のテーマにスプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・USA」を採用したことに対して「ブッシュって英語わかんないのかな?」と言っていた。ボーン…はブッシュのよう「愛国」ではなく、そんな「愛国」を批判した歌である。
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by g2005 | 2005-10-12 03:56 | 主張
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