「ワールドカップとか興味ないッス」って言ったら会社で変人扱いされた

ワールドカップの応援でケンカが起きたらしい。
しかもその理由が俺にとってさっぱり意味が分からない。以下はスポーツ報知より引用。
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<PV会場でサポーター暴発「負けたのに笑ってるんじゃねえ>
 サッカーW杯での日本代表の大逆転負けがサポーター同士の乱闘騒ぎまで巻き起こしていたことが13日、分かった。中田英寿選手の出身校・韮崎高がある山梨県韮崎市で行われた日本-オーストラリア戦のパブリックビューイング(PV)を終えた若者約10人がけんかに巻き込まれ、3人が負傷した。目撃者の証言によると、「負けたのに笑っているんじゃねえ」などの大声が聞こえたという。ジーコ日本のショッキングな敗戦が、一丸となっていたサポーターの内乱まで呼んでしまった。

 “中田の街”でサポーターの不満が爆発した。“舞台”となったのは、韮崎市の市営総合運動場体育館の駐車場付近。日本-オーストラリア戦のPVが終わった13日午前零時ごろ、「試合後で興奮していた」(同市職員)20代から30代の男性が、男女4人組のうち男性2人に対し、「日本が負けたのに、なにがうれしいんだ」と言い募ったのをきっかけに、サポーター10人を巻き込む乱闘に発展した。

 制止しようとした男性1人を含め3人が殴られ、うち1人が救急車で運ばれるなど、顔面や腕、足に打撲などのけがを負った。目撃者の話では「負けたのに笑ってるんじゃねえ」と言い争う声も聞こえたという。殴りかかった男性はそのまま逃亡。山梨県韮崎署では暴行事件として、負傷者や目撃者らから事情を聴いている。

 日本代表の中田英寿選手の母校、韮崎高校がある同市ではこの日、市営総合運動場体育館に大型スクリーンを設置。入場無料で、市民に限らず、誰でも観戦できたが、アルコール類の持ち込みは禁止。観戦者500人に市の職員40人が警備に当たるなど、万が一の暴動時の予防線は張っていたがトラブルは起こった。
(注:以下略)
2006年06月14日08時15分 スポーツ報知

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 前から思っていたのだが、なぜ見ず知らずの他人がスポーツをするイベントでここまで盛り上がってしまうのだろうか?
 仕事で疲れて、まだ週も半ば、たまにはスポーツ観戦でひいきのチームを応援してウサを晴らすか、というなら分からないでもない。そういう息抜きも必要だ。一部の天才を除いては、そこまで目的合理的には生きられない。
 だが、なぜここまで一体化できてしまうのだろう?このケンカを売った「サポーター」なる人々には「自分」がないのだろうか。なんだかファッショな感じがする。自分以外の人間がどう考えているかは関係ないらしく、自分と同じようにすることを求め、気に入らないから殴る。うーむ、ファッショ。自分の大事なモノをけなされたので切れたということなのか?熱狂的なサポーターにとって日本代表とはそんなに大事なのか?
自分じゃないのに?
 「兄弟」と呼んでいる自分の親友が笑われたら、俺も同じコトをするだろうけどね。それくらい大事なのかな?



 グリーン・デイはアルバム「アメリカンイディオット」で、あるパンクロッカーの生涯を描く。郊外に生まれた少年(ジーザス・オブ・サバービア)は孤独を抱えながら成長し、やがてパンクの季節を迎える。無敵のパンクロッカー「セイント・ジミー」はセックス・ドラッグ&ロックンロールな生活にハマる。
 渋谷陽一によると、カート・コバーンの死以降、パンクも含めた広義ロックはこの世界観を乗り越えることができなかった。パンクの季節が終わりに近づくと、若者は、イノセントを抱えながら矛盾に耐えられず死ぬしかなかった。
 だがグリーン・デイはそうは歌わなかった。確かに「セイント・ジミー」としてのパンクロッカーは「自殺」した。パンクの季節を「卒業」したかつての少年は家に帰るというストーリーだ。
 なぜ生きて帰らなければならなかったのか。グリーンデイのバンドメンバーが結婚し、子供がいるメンバーもいることと関係があるのかも知れない。家に帰って、親として子供に係わらなければならないし、子供が幸せになれるようクソッタレな世界をなんとかしなければならない。だから家に帰れとグリーン・デイは歌う。それは、ライブアルバム「ブレット・イン・バイブル」からも明らかだ。

 「たまにはパンクで暴れろよ。暴れてスカッとしたら家に帰ってやるべきコトをやれ」

 ワールドカップで熱狂するのもいいだろう。だがそこにお前はいないし、いくら熱狂しても何も変わらないという絶望があるだけだ。自分が主役であるべき場所-家に帰り、やるべきコトをやらないといけない。そうしなければ何も変わらないし、成長もできない。かりそめの一体感は味わえてもその後に残るのは空しさだけだ。その程度のことがまだわからないのだろうか。
 韓流オバサンも2次元オタクもジャニーズ追っかけもオウム信者もワールドカップ熱狂的サポーターもメンタリティーとしては同じだ。自分以外の何かに異常にハマってしまうメンタリティ。主体性の欠如。お前の人生において、一番大事なのはワールドカップで応援することなのか?


 まあ、人生で一番大事なことが見つからないから誤魔化しているのだろう、と俺は思う。本人たちは否定するだろうけど。
 俺にとって人生とはクライミングであり、バンド(といってもまだ2回しかセッションしていないけど)であり、それを一緒にエンジョイする仲間との時間だ。


 鈴木謙造というクライマーがいた。アルプスのリスカム北壁をフリーソロし、その下山中の気持ちを彼はこう書いている。

「僕は鈴木謙造でよかった。涙は出ない。涙は感情表現の極みでは無いみたいだし、終わった後の感情は、いつだって期待していたものとは違う」

 ワールドカップで騒いでいる人にこの文章の意味は分からないだろう。自分の力で望んでいたものを手に入れたとき、こんな気持ちになるのかも知れない。俺は残念ながらそこまでは打ち込んでいないし、全身全霊をかけてはいない。いつかは鈴木謙造さんの視点に立ちたいと思うし、近づけるだけ近づこうと思っている。一方、ワールドカップで熱狂的に応援している人々は、永遠に中田や稲本の視点に立てることはないだろう。近づくこともできないだろう。
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by g2005 | 2006-06-15 23:19 | 主張
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