ボーナスに関する考察

 明日ボーナスが出るらしい。月給×2.2×能力(平均は1)らしい。俺の勤める会社は一応業界最大手なのだが、まあもらえるだけ有難いとも言える。ちょうど今日(昨日)まで朝日新聞で連載されていた派遣関係の連載では本当に酷い実態が綴られていた。
だが、俺は1日2~3時間(月40~60時間)残業しているが、残業代ゼロである。あとでもらった残業代とも言える。
なぜボーナスはちゃんと払うのに残業代は払わないのだろうか?法的には、ボーナスを払わなければならないという規定は無いはずだ。だったら、残業代はしっかり払って、ボーナスは気持分だけ、というのが本来の有り様ではないのだろうか。

 思うに、使用者の側には、以下に挙げるようなメリット?がある。
・労働者は、残業代を出すようにすると、残業代目当てでダラダラと仕事をするようになるのではないかという思いこみから、残業代をカットした方が効率が上がると思っている。
 →俺の勤務する会社では、7月ごろから残業代が全額カット(それまでも月10時間までという秘密内規があった)になったが、誰一人としてそれまでより早く帰るようになった者はいない。逆に「ふざけんなよ」と搾取に憤る者の方が多い。要は、中間管理職がしっかりしていればそんなことにはならない。
・ボーナスという形で出すと、労働者に対して「特別にくれてやっている」という感じがする。
・ボーナスという形ならば、業績がちょっとでも悪ければ速攻でカットできる。


 また、これは俺の勤務する会社の話だから一般化はできないが、社長はもう少しで引退して、引退後は東南アジアあたりで学校を作るらしい。最近ジョージ・ソロスやビル・ゲイツが似たようなことを何百倍のスケールで発表したが、流行なのだろうか。彼ら使用者には、共通の認識がある。

・儲けた者勝ち。(基本的にホリエモンと変わらない。)
・儲け方には多少強引さがあっても(搾取構造があっても)OK。なぜなら、労働者に金をやってもろくな事に使わず、だったら自分が慈善事業に使った方が効率よく社会を改善できる。
・なぜ労働者が金を持ってもろくな事に使わないかと言えば、彼らがアホだからである。

 こうした認識は使用者特有の物ではない。ノーム=チョムスキーが『メディア・コントロール』の中で指摘しているように、自由主義者やその親戚は基本的にこの考え方だ。知識人は公共の事柄に対して冷静かつ客観的判断が出来るのに対して、大衆は「とまどえる群れ」である、というように。マルクス主義者も「大衆=バカ、知識人=大所高所に立って判断できる」という認識では全く同じである。彼らには「自身が悪の根元の一部である」という認識が決定的に欠けている。もちろん、必要悪という部分もある。有能な使用者が社会を引っ張るという竹中平蔵式構図はある程度は有り得る。結局程度の問題で、必要悪を通り越して、悪の権化と化している者が多いと言うことだ。

 だが、こと「金の使い方」に関しては、我々労働者よりも、利用者の方が賢いということを俺は認めざるを得ない。なぜなら、彼らは「金を使う」ということにおいて、労働者よりもはるかに高い経験値を持っているのだから。我々は経験がない。大金を持ったことがない。もっとも、その理由の幾分かは彼ら使用者のせいなのだが。
 だが、見落としている点がある。使用者は数えるほどしかいないが、労働者はもの凄く多いということだ。多くの視点があり、多くの経験がある。なぜ自分の視点のみが唯一至高で、自分の経験を絶対化するのか。
 東南アジアに学校を作る?そんなこと俺にはできないし、しない。例え100億持っていても。それよりも、通勤途中で毎日オープンビバーク(青空の下での露営)しているおばあちゃんに、寝袋の1つでも差し出したいと思う。俺には借金があるので、それを返す目処が立ったら、今使っている寝袋を提供したいと思っている。
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by g2005 | 2006-12-08 01:03 | 主張
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