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これからは、ビラまきは逮捕らしい

以下、ニュースの引用。
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<熊本日日新聞>
市民運動家3人に逆転有罪 立川反戦ビラ事件
 東京高裁判決を受け記者会見する、立川反戦ビラ配布事件の(左から)大西章寛、高田幸美、大洞俊之の3被告=9日午前、東京・霞が関の司法記者クラブ

 自衛隊のイラク派遣に反対するビラを配るため自衛隊宿舎に立ち入ったとして住居侵入罪に問われた市民団体メンバー大洞俊之被告(48)、高田幸美被告(32)、大西章寛被告(32)の控訴審判決で、東京高裁は9日、全員を無罪(求刑懲役6月)とした1審東京地裁八王子支部判決を破棄、大洞、高田両被告に罰金20万円、大西被告に罰金10万円を言い渡した。

 判決理由で中川武隆裁判長は「配布の仕方が社会的に認められる範囲内だなどとして、刑事罰に値する違法性(可罰的違法性)がないとした1審判決は、事実を誤認している。表現の自由が尊重されるべきであっても、そのために他人の権利を侵害してよいことにはならない」と述べた。3被告は直ちに上告した。
http://kumanichi.com/news/kyodo/index.cfm?id=20051209000170&cid=main
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<読売新聞>
ビラまき有罪 居住者の不安重視
 「原判決を破棄する」――。市民団体「立川自衛隊監視テント村」のメンバーが、自衛隊イラク派遣反対のビラを自衛隊官舎で配布したとして住居侵入罪に問われた裁判で、東京高裁の中川武隆裁判長は9日、大西章寛被告(32)に罰金10万円、高田幸美(32)、大洞俊之(48)の両被告に罰金20万円の有罪を言い渡した。1審の無罪と今回の判決を分けたのは、刑罰に値する違法性があるかどうかの判断だった。被告らは「不当判決だ」と反発するが、「居住者の不安を重視した判断は妥当だ」とする専門家もいる。
 検察側は1審で、テント村と過激派団体との関連を立証し、テント村の存在そのものを問題視しようとしたが、地裁八王子支部に退けられた。2審では、郵便受けにビラを投函(とうかん)する目的の住居侵入で有罪になった他の事件の判例を示すなどし、1審で否定された「可罰的違法性」の認定を求める主張に力を入れた。
 今回、中川裁判長は「官舎敷地や建物共用部分は住居である」とし、3人の行為は1審と同様、住居侵入に該当すると認定。その上で、住民側が掲示をしたり直接注意したりするなどの対策を取ったにもかかわらず、立ち入ってビラを投函、「抗議を受けても同じ行為を繰り返した」と指摘。可罰的違法性について「法益侵害の程度は軽微とは言えない」と結論づけた。

 東京高裁の725号法廷で同日午前10時に判決の朗読が始まると、高田被告は中川裁判長らをじっと見つめ、大洞被告は目を閉じて腕を組むなど、3被告とも一様に険しい表情を崩さなかった。閉廷後、傍聴していた支援者らは「不当だ」などと抗議の声を上げた。
 有罪判決を受けて開かれた会見で、3被告と代理人は判決を激しく批判した。高田被告は「表現の自由を守るために戦わなくてはいけないと思ってきた。この判決が確定したら、民主主義にとどめを突き刺してしまう」と、時折涙ぐみながら訴えた。代理人は「1審が詳細に検討した違法性や表現の自由についての考慮がなく、極めて不当だ。上告して争う」と語った。
 3被告と支援者は同夜、立川市で報告集会を開き、「無罪判決を勝ち取るまで戦おう」と誓い合った。
 有罪判決を受け、立川署の小野吉朗署長は「判決文を見ていないのでコメントできないが、捜査は適正に行ったものだ」と話した。一方、防衛庁広報課は「裁判所の判断にコメントする立場にない」としている。
 ■張り紙で拒否意思明確◆住居侵入にあたらない■
 前田雅英・首都大学東京教授(刑事法)「1審判決は、ビラ配布の目的、手段、被害の結果を考慮し、違法性を判断した。その枠組みは妥当だが、表現の自由の観点などから、目的の正当性を重くとらえすぎた。2審は被告らの行為の相当性、居住者の権利侵害の程度を適切に評価した。治安が悪化している社会状況を踏まえれば、居住者の不安感は軽視できない」
 元最高検検事の土本武司・帝京大学客員教授(刑事法)「高裁判決は正当だ。居住者は張り紙などでビラを入れられたくないという意思を明確にしていた。裁判所は、居住者の承諾がない立ち入りは違法だと、広く警鐘を鳴らした。今後の類似裁判にも影響するだろう」
 松宮孝明・立命館大学法科大学院教授(刑事法)「被告らは、建物の階段という共用部分までしか立ち入っておらず、住居侵入罪には当たらないと考える。共用部への立ち入りを禁止するには、住民全員で総会を開き、総意を形成する必要があるが、この件はそれをしていない。上告審では、侵入にあたるか否かが争点になるだろう」
(2005年12月10日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyotama/news001.htm
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<朝日新聞>
一審無罪判決破棄、被告3人に罰金刑 立川ビラ配布訴訟
2005年12月09日13時04分

 東京都立川市の防衛庁宿舎で、自衛隊のイラク派遣に反対するビラをまいて住居侵入罪に問われ、一審で無罪となった市民団体「立川自衛隊監視テント村」のメンバー3人の控訴審判決が9日、東京高裁であった。中川武隆(たけたか)裁判長は、3人の行為は住居侵入罪にあたるとし、「ビラによる政治的意見の表明が保障されるとしても、宿舎管理者の意思に反して立ち入ってよいことにはならない」と述べて一審判決を破棄。3人を罰金20万円または同10万円とする逆転有罪判決を言い渡した。3人は即日、最高裁に上告した。

 検察側は全員に懲役6カ月を求刑。一審・東京地裁八王子支部は「3人のビラ配布は憲法が保障する政治的表現活動のひとつ。民主主義社会の根幹を成すものとして、商業ビラより優越的な地位が認められている」と指摘。「住居侵入罪の構成要件には該当するが、刑事罰を科すほどの違法性はない」と判断していた。

 高裁判決は、宿舎の出入り口などに「関係者以外立ち入り禁止」との表示がされていたのに立ち入ったことなどを考慮し、「3人の行為は管理権者の意思に反する」と述べ、住居侵入罪にあたると認定。そのうえで表示があったことや、住民が1度抗議をしていることを重視。被害が「『極めて軽微』とした一審判決は誤り」と結論づけた。

 一審判決が表示について「目立たないものだった」、住民の抗議について「居住者1人からの個人的なもので、居住者の総意とはいえない」といずれも消極的な評価をしたのとは対照的な判断となった。

 罰金の額は、起訴事実となったビラまきが04年1月17日の1回だった大西章寛(のぶひろ)被告(32)が10万円、同年2月22日を加えた2回だった高田幸美被告(32)と大洞(おおぼら)俊之被告(48)がそれぞれ20万円。そのうえで未決勾留(こうりゅう)日数を1日5000円に換算して20日分(10万円)を差し引いた。これにより大西被告が支払う額はゼロとなる。

 自衛隊のイラク派遣をめぐって議論が衝突していた昨年初め、公安警察主導の捜査で逮捕・起訴に至ったこの事件で、弁護側は「憲法が保障する表現の自由の侵害」と摘発を批判し、無罪を主張した。3人の勾留期間が75日にわたったことから捜査当局に対する裁判所のチェック機能のあり方も問われた。
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 以上、3紙から引用。こうしてみると、各新聞の性格が出て面白いが、ビラを撒いたくらいで「代用監獄」に75日もぶち込まれたのではたまったものではない。3人に同情。
 判決自体はいち住民の抗議をどう捉えるか、階段スペースは住居か、などの法学論としてマトモなのかも知れない。
 が、それより問題なのは、ビラ撒きに対して75日も勾留する公安警察の「過激」ぶりだろう。こんなことが認められるなら、公安はやりたい放題である。
 言っておくが、これはいわゆる「左翼」などの過激分子だけではなく「全国民」に 関係する。公安が、パブリック・セキュリティーを乱すと判断すれば、何日でも勾留できてしまうというこがこの件の最大のポイントだ。
 そもそも公安とはどういう組織か。またまた引用で申し訳ないが、おそらくネットで最も信頼できるサイトであるウィキペディアからである。
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<wikipedia>
公安警察(こうあんけいさつ)とは、日本の政治秩序の安定を目的とする警察の捜査部門の総称。警察庁 警備局がその中枢部分を担い、地方の警察本部に属する警備課の公安課・公安係が末端部分を担う。特に首都東京都を管轄する警視庁では公安部として独立し、警察官約2000名を擁する巨大組織となっている。

公安警察は、戦前の特別高等警察を解体した代わりに創設された。左翼(日本共産党・新左翼)・右翼・オウム真理教(現アーレフ)などの新興宗教・朝鮮総連・労働運動・反戦運動など、団体別・領域別に運動を監視し、必要とあらば公権力を発動する。一般に、刑事事件担当の警察官よりも、公安担当の警察官のほうが地位が高いと言われる。

左翼を抑えるために右翼団体と癒着し、その力を借りている、と一部で指摘されている(鈴木邦男『公安警察の手口』)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E5%AE%89%E8%AD%A6%E5%AF%9F
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彼らをどこまで信用できる?酔っぱらいに運転を任せるようなものではないか?
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by g2005 | 2005-12-10 22:32

こりゃーすごいわ

東京・大阪などの大都市では、言論弾圧が凄くなっている、ということは、例えば森達也氏や斉藤貴男氏の著作で知っていたが、実際にムービーをみて驚いた。私のサイトからなら直リンしても大した負荷はかからないだろうから直リンで。
大阪府警の暴力
筋金入り左翼サイトとして有名な「旗旗」にあった映像である。
管理者のコメントに「こいつら本当に警官か?」とあったが、確かに警官には見えないな…。知性のかけらも見あたらない…。
教員に、10年に一回くらい試験を受けさせろという話が出ているが、警官にも必要だと思う。この人たちは何を守っているんだ?近くで子どもがいたら間違いなく泣くぞ?
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by g2005 | 2005-11-30 03:12

勉強と本の読み方について

この記事は、親記事に書かれたコメント(名前はまだ無いさん)に対するTBです。
コメントにはコメントで書き込めばいいかもしれませんが、長文になってしまったので。コメントを掲示板化したくないというのもあります。



>名前はまだ無いさん

歴史に意味を求めるとするなら(そもそも歴史自体は無意味で。そこにどう意味を与えるかということが問題なのですが)、私は「同じ過ちを繰り返さない」という一点に尽きると思います。
そこで、「戦前との類似性が指摘されるなら、戦前どのように国民が動員されていったかをミニマムなレベルで明らかにする必要があると思われます」と言ったのですが、これに関して名前はまだないさんは、標語のもたらした効果について強調されています。
確かに、プロパガンダの世界では「ワンフレーズ」による「刷り込み」は常道ですし、先の衆院選を見ても(笑)その効果はあきらかでしょう。大きくは間違っていないはずです。
しかし、それを言うなら、標語の導入前と導入後の意識調査比較や、体験者の聞き取りなどを通じた実証的な研究が必要となるはずです。私の欲するモノはまさにそこです。蓋然性で歴史を決めることができるのならば歴史学者は必要ないと思われます。 




>本を読むのであれば、答え合わせのつもりで読むといいと思います。 本が間違っている場合も多いと思いますよ!

名前はまだ無いさんは「ともすれば自分の気に入る答えのみを拾い集めてしまう危険」を指摘されています。そのとおりですが、「答え合わせのつもりで読む」事は、「自分の気に入る答えのみを拾い集めて読む」と同じことだと私は思います。世の中の文筆家の中でもくだらない部類に入る人(なぜか「高名な」人が多いのは気のせいか?)は、自分の主張がまずあって、それを補強するために材料をあつめる、ということをよくやりますが、それは勉強ではないと私は思います。(では勉強とは何かと言われると答えに窮するのですが)「答え合わせ」も同じように感じました。
 とはいえ、名前はまだ無いさんの言われるように、自分で考えることは大事で、例えば県立図書館で新聞のマイクロフィルムを閲覧したりしましたが(2年くらい前ですが)、翼賛記事ばかりでどうにもなりません。鋭い歴史学者は、そうした記事の中から住民意識を掘り起こすのでしょうが、私は歴史学者ではないので、その力はありません(時間もないし)。だから本を探しているのです。高橋哲哉氏の「靖国問題」における、婦人公論(主婦の友だっけ?)の引用はその意味で参考になりましたが、あれだけでは「いかにして普通の母が靖国の母になったか」は分かっても、「いかにして地方の住民が挙国一致体勢に組み込まれていったか」の十分条件にはならないと思われました。
問題意識をとぎすます為には思考が重要ですが、実証的研究に関して他人の研究成果から学ぶことは、時間の節約という観点からしても重要と思います。

 最後に、理系も文系もやることは一緒です。例えば物理学で物理法則の探求を行うのに対し、歴史学では歴史法則を探求します。ただ、実験室で再現可能な物理と違い、歴史学では、過去の歴史的事象の中から法則を探し出すため、100%正しい法則を導き出すのは不可能です。せいぜい「こういう条件の時、○○となる可能性が高い」といった蓋然性の問題にとどまります。

 であるならば、理系の実験によるデータ収集は、ちょうど文系の史料(資料)収集(+史料批判)に対応しています。イメージとして文系は「つめこみ」というのがありますが、実験が行えない以上、やむを得ないと思われます。
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by g2005 | 2005-11-13 03:48

ジャスコ化への対応~「フリーターが語る渡り奉公人事情」トラックバック1~

「ジャスコ化」などという大仰な名前を付けなくとも、みんな既にうすうす気付いているのではなかろうか。大手資本が入ってくると余計に不便になると言うことを。
確かに便利は便利だけどね。それは見せかけなんだよね。

俺の住む南九州・薩摩半島にある加世田市では一向にジャスコ化は進んでいない。ありがたいことだ。過疎地域なので採算がとれないだろう。おかげでまさにスローライフだ。今も地元で取れたタコをキムチにして焼酎を飲んでいる(時節柄、塩を大目にし過ぎてしまったが…)。
俺は普段、夜11時まで働いている同僚は「店が閉まって買い物ができない」と嘆くが、そのぶん出勤が昼なので、ちょっと早起きして買い物すれば済むことだ。


ちょっと足を伸ばせば、築地で万の札のつく最高の野菜や魚が待っている。
大浦町の産直館はちゃんと冷房が効いているので、夏場も保存が良くお奨めだ。片浦の木場商店はカンパチの小さい奴(地元ではヒラコという)が一匹100~200円。そのかわり、片浦の人はみんな魚を自分でさばくのがあたりまえなのか、刺身では売っておらず、自分でおろさざるを得ない。まあ最初の千円は勉強って事で。
鹿児島市内では一匹500円になる。東京の連中は、ここより不味い魚を喜んで5倍くらいの金出して食っているんだろう。したり顔で「やっぱ鹿児島産はちがうね」とかいいながら。
ばかみてー。

 石牟礼道子氏の「苦海浄土」に、確かこんな記述があった。水俣病に冒された漁師さんの、公害病に蝕まれる前の、彼の口癖。口語訳すると(「苦海浄土」はほとんどが熊本の方言)こんな感じだったと思う。

「自分で取った魚をおろして焼酎を飲む。これがこの世の栄華よ。殿様でも俺の刺身より旨い刺身は食えん。こんな栄華が他にあるか」

今、俺もこの爺様の気持ちだ。

スーパーよりも八百屋の方がたいていの場合安い。農家直営の無人販売所など(たいていは、作業後のおばあちゃんがたうろしているが)、「ダンピングで訴えられるんじゃねーか!?」ってほど安い。
魚や肉はスケールメリットでスーパーの方が安い場合もあるが、魚屋の親父は旬の魚の食い方、魚の見分け方など色々なことを教えてくれる。
本当に「合理的」になったら、大手スーパーよりも地元小売店の方がお得である。少なくとも南薩では。
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by g2005 | 2005-09-05 01:11

「異常」として排除するか、それとも深く考えてみるか

以下引用
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社会ニュース - 8月29日(月)14時37分 駐在所襲撃、ホラーゲームがヒント?中3同級生が語る
 宮城県警佐沼署の駐在所警察官刺傷事件で、強盗殺人未遂容疑で送検された同県石巻市の中学3年男子生徒(14)の同級生が同署に対し「事件での凶器の扱い方が、生徒が遊んでいたホラーゲームとよく似ている」などと話していることが29日分かった。
 生徒の部屋からホラーゲームなどのゲームソフト類も押収されており、同署は生徒がゲームの影響を受けて事件を起こした可能性があるとみて調べている。
 同級生が同署に話したところによると、生徒が凶器の包丁の柄に粘着テープを巻いていたのは、ホラーゲームのキャラクターが使っていた凶器を参考にしたとみられるという。このキャラクターは、2本の刃物を両手で操って敵を倒すという設定で、2本の包丁を使った今回の事件の襲撃方法と似ている。  生徒は中学2年のころには、人気アニメの登場人物が回転式の拳銃を撃って活躍するシーンを見て、「アメリカに行って本物が欲しい」と漏らしていたという。  また、生徒は調べに対し「拳銃を奪って自殺しようとした」と供述しており、将来のことで悩んでいたことなどから、同署は生徒が拳銃自殺しようとしたのが動機だったとみている。(読売新聞) - 8月29日14時37分更新
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以上引用


少年犯罪→ゲーム・アニメのせい。めでたしめたし。このニュースを聴いた瞬間にこういった報道がなされると確信していました。このニュースをよく読んでみると、なんで中学生が自殺を、それもよりにもよって拳銃自殺をしたいと思ったのか、部分は謎のまま、「とりあえずゲームのせい」としている。また、このくらいの年の子が銃器など派手な物に目を引かれるのは当然で、男なら一度くらいは「ホンモノをぶっ放してえー」と思うだろう。 なぜこんなことが「原因」になるのか?



以下引用
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社会ニュース - 8月29日(月)4時28分 駐在所襲撃の中3、100円ショップで包丁購入  

 宮城県登米(とめ)市の駐在所警官刺傷事件で、強盗殺人未遂容疑で送検された同県石巻市の中学3年の男子生徒(14)は、凶器の肉切り包丁2本を、1年以上前に100円ショップで購入していたことが28日、わかった。
男子生徒は「武器全般に興味があった」という趣旨の供述をしており、佐沼署は、モデルガンだけでなく、刃物にも関心を寄せていたとみて、購入の動機や事件との関連を調べている。
調べでは、男子生徒は、自宅から約15キロ離れた登米郡(当時)内の100円ショップに家族と一緒に買い物に出かけた際、刃渡り約20センチの肉切り包丁を購入。「家族に『何に使うのか』と聞かれたが、適当に言い訳をした」などと話しているという。同署の調べに対しても、「目に付いたから」などと供述するだけで、購入の理由をはっきり説明しないという。(読売新聞) - 8月29日4時28分更新
----------------------------------------------------------------------------------------------以上引用


 ↑刃物マニアなら100円ショップの包丁なんか使わなかっただろうし、そうしたら警官はやばかったかもしれない。何としてでも、犯人は「銃器・刃物オタク」で「ゲームマニア」で「異常」としておきたいのだろう。そうすれば「あいつが異常だっただけで、我々の社会は正常なのだ」と安心できるから。

 銃器マニアや刃物マニアというのは相当数いる。なにせ毎月ミリタリー雑誌が田舎の書店に並ぶほどだ。にもかかわらず、このような行動を取るのはごく一部でしかない。アニメオタクもゲームオタクも同じ。相当数いるが、犯罪を犯すのはごく一部でしかない。サラリーマンが殺人を犯したからと言って、「サラリーマン=悪」となるだろうか。むしろ割合で言ったら、政治家の汚職とかの方が圧倒的に高いだろう。その意味で「政治家=悪」は正しいのかも。

 話が逸れた。「なぜ、大多数のマニアは犯罪を犯さず社会と共生できるのか。なぜ少年は共生できなかったのか」という疑問に、真っ向から答えることが、知的営為というものではなかろうか?

 アホ親、アホ地域、アホ教師、アホ文部行政、展望のない社会=アホ政治家により、子どもたちは絶望的なポジションにいる。本質的には、そういった背景を考えなければならないのではないか?もしも未来があれば、少年に夢があれば、愛があれば、こんなことをしなかったのではないか?

 多くのミリタリーマニアが一線を越えないのは、俺が思うに、彼らには「夢」や「愛」といった、希望につながるモノがあるのではなかろうか。

 ちなみに、ロキオンで読んだ面白いネタがある。APCというバンドのフロントマンであるメイナードという男のインタビューにのっていた事だ。彼はアメリカの大統領選中にイマジンを初めとする反戦歌のカヴァーアルバムを出した。そのヴィデオクリップがあまりにえげつなさ過ぎて放送禁止になったのだ。しかし、インタビューで彼が言うには、クリップに使った全ての素材は、普段ニュースで流れている映像を使ったのだという。普段テレビに出ている映像をちょこっと編集したら、放送禁止になるくらいの残虐映像になったとさ。

 確かに、一部のゲームやアニメは一部の人間に対して良くない影響を、つまり反(脱)社会的な影響を及ぼしかねない。しかし、それを言うなら、ニュースの映像も、広く浅く貢献しているのであろう。なぜ問題にならないのか?簡単だ。メディアは、多少の「異常人間」を製造してしまうかも知れないが、それよりも、本当は狂っているこの世界を正しいと言いたいのだ。3秒に一人の割合で餓死する子どもが、戦車に石を投げる子どもがいるこの世界を。そうした現実を支えている日本という国を。そういうことは隠しておいて、とりあえず現状肯定させたいのだ。そうしておいて、たまに出てきた「異常者」の脅威を煽ることにより、さらなる現状肯定を勝ち取るのだ。

 だが、分別のある人間なら、こんな世界を変えたいと思うのではないか?

 俺には、一日約2万の危険手当を、国際貢献の名の下に、現地民にあまり感謝されていないイラク・サマワの自衛隊員に払うことの意味が理解できない。もっとマシな使い道ないのか?
 俺には理解できない。世界中に出かけていって、爆撃したり拷問したり虐殺したりする国を「支持する」ことの意味が。そうした国を「支持する」政権を選挙でえらんでしまう人が。
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by g2005 | 2005-08-29 21:47

ブルース=スプリングスティーンの新譜から考えたこと

俺が映画や本を読んで泣くということはほとんど無い。普段から、人に感動させられるのではなく、自分の成し遂げた事に感動したいと思っているし、流行の「癒し系」とか「泣ける映画」など、所詮感情を売り物にした心の安楽死装置である。

しかし、あろうことかファミレスの中で、ロッキング・オン8月号を読んで泣いてしまった。
それは、渋谷陽一氏の「正義が人を殺す時代を終わらせるために -アンチ・ブッシュ・キャンペーンによってスプリングスティーンが獲得した真のリアルとは何か」というテキストによってである。

ブルース=スプリングスティーン、ちょっと洋楽に詳しい人なら必ず知っているアメリカのロック・ミュージシャンである。フォークからロックまで歌い、曲の内容としてはシリアスな曲からラブソングまで幅広く、基本的に一人でやる彼は、日本で例えたら長渕といったところだろうか。長渕を知的にしたらスプリングスティーンになるかも知れない(笑)。

そのスプリングスティーンの新譜「デビルズ・アンド・ダスト」について、渋谷氏は歌詞を直接引用しながら、彼の持論である「ライブ・エイド批判」なども織り交ぜつつ紹介していく。ちなみに、アルバムは速攻で買ったが、ラジカセが壊れて聞けなくなってしまった(笑)。

 スプリングスティーンは他のミュージシャンと共に、ブッシュとケリーが伯仲している州にで反ブッシュキャンペーン「ボート・フォー・チェンジ・ツアー」を行った。それは、ありがちなプロテスト・ソングの発表を通じた批判などではなく、文字通り体を張った
決意表明だった。このツアーに参加したカントリー寄りのミュージシャンであるディクシー=チックスなどは、彼女のファンである保守層から反発を受け、CDをトラクターで潰されるなどされ、スプリングスティーン自身も不買運動を起こされた。このようなリスクを背負いながら、彼はボート・フォー・チェンジをやった。

 ご存じの通り、ブッシュは再選した。アメリカの若者は今もイラクに送り込まれている。腹黒い石油産業や狂信的なキリスト教右派のために、若者たちは闘うことを強いられている。



親父は俺には他人だった
家を出て町のホテルに住んでいた
小さい頃、親父は他人だった
時たま道ですれ違う他人と同じだった
時たま道ですれ違う

そして今ここで、脱いだシャツを着ている俺には
今自分の子どもがいる
俺がこの神に見捨てられた世界に望むことは
間違いが一代限りであって欲しいということ
罪が一代限りであってほしいということ
(ロング・タイム・カミング)



「間違いが一代限りであってほしい」という認識は、渋谷氏が指摘するように重い。
こうした歌詞を、「闘いに負けた」スプリングスティーンが、一人の父親として歌う気持ちがわかるだろうか?
あらゆる事実・価値が相対化されつつある世の中にあって、スプリングスティーンの真摯な思いは、凄まじいまでのリアリティで訴えかけてくる。「どうか、自分の世代の過ちや罪が、自分の子供らに災厄として降りかからないで欲しい。このような過ちは、自分の代で終わりにしたい。」俺には、このように読みとれて、その決意の重さと真摯な思いに、陳腐な言葉だが感動してしまったのだ。


アルバム・タイトルとなっているナンバー「デビルズ・アンド・ダスト」について、渋谷氏はこうコメントしている。

『ここで歌われているのは「戦争は常に正義の名の下に行われる。そして、その正義こそが人を殺すのだ」という重い認識だ。いわゆるシンプルな反戦プロテスト・ソングとは全く違うレベルに立ったナンバーである。人はそれこそ正義を与えられれば何でもするのである。愛と平和のために人を殺すことだってできるのだ。というか、多くの戦争は祖国への愛、家族や友人の平和の為という正義の為に行われてきたのである。逆に言えば、人は自分の正義を信じられなければ人を殺す事はなかなかできない。』

平凡な学者/論客は、例えばイラク戦争について論じる。大義はあるのか、日本はどうすべきか、どこまでやるべきか。しかし、スプリングスティーンはそうした浅はかな論議を完全に超越している。そして、超越しているだけでなく、ではどうすればよいのかという答えまで用意している。間違いや罪を、俺たちの代で終わらすこと。

 結局、戦争について、特定条件下ではアリだとか、大義がどうだとか、それらは全て、本来「絶対的」であるはずの生命や人間の尊厳を相対化していく論理である。そこで議論している連中に多くの場合悪意はない。しかし、極めて「倫理的」に条件付けられた筈の「限定的」な戦争が、いつの間にか「何でもアリ」になっていく。それはちょうど、生命倫理に関する「滑り坂理論」=ひとたび特定の傾向を許すと、その傾向が加速していく現象ににている。「正当防衛」すら「防衛戦争」という概念にすり替わって、侵略戦争の口実になっていく。状況を仮定するより、そうならないよう努力する必要があるのだ。


「状況を仮定する」というのは、マスコミの得意技である。テレビには不安や対立を煽るような番組があふれている。だが実際に、今一番危険なのはブログであろう。ブログランキングのトップは常に「反中」「反韓」である。

各県の県立図書館は、たいていマイクロフィルムが見れるようになっているはずだ。見てみるといい、日中戦争直前の新聞記事を。あるいは太平洋戦争直前の記事を。ちょうど今のブログと同じである。憎しみや偏見を煽る記事のオンパレード。日頃の鬱憤を外国人に向けていく俺たちの祖父の世代。不満を外に逸らせて笑いが止まらない財閥・政府高官。そうして日本は文字通り挙国一致で戦争へ突入していった。
実際には、そうした報道は一部の「事実」を拡大した物に過ぎなかったのだが、メディア・リテラシーのかけらもない当時の国民は見事に踊った。

俺たちは、2代も前の人間と同じ過ちを犯すのか?そこまでバカなのか?


俺は約10年前、ホームステイで韓国に行った。そこは、良い奴もいればアホもいる(そういえば、「日本人」という理由でケンカ売られたなあ…)、要するに同じ「人間」の住む国だった。


Imagine all the people  Living life in peace
(「イマジン」ジョン=レノン)

必要なのは、自分自身の想像力だ。マスコミや、ストレスのはけ口としてのブログではない。
スプリングスティーンの思いは、ともすれば抽象的な議論や、プロパガンダ的な記事の応酬といったよく見かける光景を超越し、我々人間の持つ感情のリアルに訴えている。
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by g2005 | 2005-07-13 03:04

THE OTERSと仕事と人生

人には向き不向きがある。おれにはやっぱUKサウンド向いてないかも。それは、話題の(?)ジ・アザーズでもそうだった。ロキオン(最新号)の記事で感情移入しておいたにもかかわらず。でも「LACKEY」の歌詞はグッときた。


たいして払いも良くない職場でおべっかなんか使いたくない
あんたの話なんか聞きたくない、今日も
やつらにこの魂を売る気はない、今日も
おいらの人生、捨てる気はない
("LACKEY")


こう歌ったドミニクは、マーケットリサーチの会社で働いていたという。そして通っていたクラブで「昼はバンドやってる」と嘘こいていたら、いつの間にかライブをやることになり、急遽集めたメンツで演奏して、そのままのし上がってきた。「21世紀のワーキングクラス・ヒーロー」の異名通り、彼らのキッズとの連帯感は半端ではなく、ドミニクは携帯番号をネットで公開して、ファンがいつでも電話をかけれるようにしている。


しばらくどこかに抜け出して、新しい考え方してみたい
バンドを始めよう、心機一転てわけさ
きっと抜け出す手段はある、自由になること考えよう
たたの夢で終わらせちゃまずいからな
("LACKEY")


クソみてーな仕事からドミニクたちは脱出したわけだ。俺の仕事はかなりやりがいあるけど、やっぱ資本主義社会だから情を切り捨てなきゃイカン場面もあるわけで、そういうときはパンクや酒に託すことになるんだろうなー。まだそういう場面はないけど。

アザーズはラジカルなやり方で「あっち側」と戦っている。俺も俺なりに戦おう。アザーズは賛否両論を呼んだ「THIS IS FOR THE POOR」でこう歌っている。

これは故郷を離れた人のための歌
これは群集の中で孤立してるキッズのための歌
故郷を離れた人のための歌
群集の中で孤立してるキッズのための歌

これはがっかりしている人のための歌
その失望ひとつのため
がっかりしている人のため
その失望ひとつのため

これはひどい扱いを受けている人のための歌
毅然と立ち向かう人のための歌
ひどい扱いを受けている人のため
毅然と立ち向かう人のため

これは貧乏人のための歌、おまえらみたいな金持ちのガキじゃなくて
これは貧乏人のための歌、おまえらみたいな金持ちのガキじゃなくて
これは貧乏人のための歌、おまえらみたいな金持ちのガキじゃなくて
これは貧乏人のための歌、おまえらみたいな金持ちのガキじゃなくて

これはずっと戦ってきた人のための歌
学校をやめなきゃならなかったキッズのため
ずっと戦ってきた人のため
学校をやめなきゃならなかったキッズのため
("THIS IS FOR THE POOR")





大人なら託せ!
と言ったのは遠藤浩輝(漫画家)であるが、俺も今焼酎とアザーズに人生の悲哀を託しています。今の仕事、やりがいあるけど、夢に生きたいという希望は捨てきれない。
だから妥協案として休日クライマー&平日パンクリスナーでなんとかバランスをとってます。みんな、形は違うだろうけど、こんな感じでなんとか踏ん張っているんだろーなー。
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by g2005 | 2005-05-19 01:52

「ルポ 戦争協力拒否」

3月に書いた文章ですが…

ライブを観に大阪へ。今フェリーの中。志布志行きバス待ちの間に鹿児島中央駅の紀ノ国屋で買った岩波新書の「ルポ戦争協力拒否」を読んでいる。なかなか興味深い本だ。全体のイントロダクションである第1章の文が各章のテーマに沿ったルポ(「自衛隊員は命令を拒否できるか」「有事体制を拒否する人々」など)の冒頭で引用されるのだが、各章ごとに読む「分け読み派」には良いが、俺のような一気読み派にはウザい。まあとばせばいいんだけど。そういったマイナスポイントはあるが、よく書けている良い本だ。

特に第二章「自衛隊員は命令を拒否できるか」では、自衛隊員を「軍服を着た市民」として捉えようとする姿勢は(俺にとっては)新しく好感が持てる。9.11後、テロ特措法でアラビア海に派遣されドバイで停泊中に心筋梗塞た海自隊員は、亡くなる前の1ヶ月間に143時間の残業をしていたなど、驚くべき事実も載っている。仮に週5日勤務として25で割ると1日5時間超の残業だ(正規勤務が8時間とすると13時間労働!?)。昨日まで10時間労働していた俺から見ても、酷すぎる。料亭で高い料理つまみながら天下国家を語る政治家ども、とくにイラク派遣で偉そうに訓辞を垂れていた阿部あたりに是非とも機関室で13時間労働を体験させてやりたいものだ(俺はガテン系バイト従事者の立場からボンボン2世議員が嫌いだが、阿部は特に人間として嫌い)。同章では自衛隊の閉鎖体質が問題視されているが、まさに正鵠であろう。

3章「有事体制を拒否する人々」では、有事7法を「他の法と並列の法」として捉え、港湾関係者らの労基法を等を根拠とした拒否、各自治労の地方自治法等を根拠とした有事法協力拒否宣言をとりあげている。いずれも法律論としてマトモだし、運動としても一昔前の「左側の全体主義」のような「大所高所」に立った物言いではなく、いち労働者としての異議申し立てであり親しみが持てる。章末に著者が主張をストレートに書いているが、確かに「戦争をしないことこそが真の『国民保護』なのである」。こう言うとアホが「一国平和主義だ」と「自虐的」になるが(笑)、じゃあアメリカの一国利益主義(イラク、アフガン、ニカラグア、京都議定書)はどうなるんだよ(笑)。(NPO・NGO等を通じた国際支援や、日本の多国籍企業による「公害の輸出」や現地搾取に対する規制さえしていれば十分だと俺は思う。銃を使うより効果的だ。ただ、そのためには任意のNPOへ所得税の一部を払う制度の確立が急務だが)

4章では「自由に物を言えない社会に抗して」として、市民運動に対する公安の弾圧を報告している。こうした弾圧は新聞などにあまり載らず、テキストベースとなるのは珍しい(むしろ市民運動系の真面目なブログなどの方が詳しい)。それだけ「自主規制」が進んでいるということだろう。ビラを配っただけで捕まったケースなどが紹介されている。右翼街宣車が道交法違反(円滑な交通の妨げ)で捕まったという話は聞かない。路上のキャッチセールスは相当ウザイが野放し。総選挙の際省庁が特定政治家を省庁ぐるみで応援しているのは公然の事実だけど、彼らが国家公務員法違反減給とかあんまり聞かないね。おかしくない?


国家なんぞ、「万人の、万人による闘争」を避けるために俺たち主権者が統治を委任しているに過ぎないし、だから国家益が国民益に優越するなんてことはあり得ない。こんなこと古典政治学の基礎だ(未だに憲法に義務規定とか言ってるバカもいる。小学生からやり直せ)。
マジな話、そろそろ政治家の目を企業から国民に向けさせないとヤバいよ。「国家益」(=大企業)ではなく「国民益」を考える政治家を国会に送らないと。

脱線した。話を戻そう。著者は繰り返し、「既成事実に負けるな」「世論が大事」と言っている。いくら港湾労働者や自治労が頑張っても、世論の支持がないと戦えない。だから、既成事実にまけて「しょうがないよね」とか諦めるなと言っている。これは大事だ。
例えば女性がレイプに遭ったとしよう。既にイチモツを半分つっこまれている状態で、被害女性は「仕方ないや」と諦めて全部つっこまれてしまうだろうか?俺は男なので分からないが、暴力の恐怖と戦い、力の限り抵抗するのではなかろうか。もちろん、実際に被害に遭った方に「抵抗すべきだった」「抵抗が足りなかった」などと言う気は全く無い。嫌なことは途中からでも「嫌だ」と言いたい、という心情の比喩だ。

いやなことにイヤと言う。そうした個人の意志が問われる時代だ。本書は、そうした精神のエッセンスと具体的な方法の基礎に関する教科書である。必読。
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by g2005 | 2005-05-18 03:41

ちょっと考えたこと

だいぶ前の文章ですが、掲載します。


昨日、寮の後輩の部屋で就職関係のハウツー本を読んだ。この手の本が本屋で山のように積まれているのはよく見かけるが、手にとってちゃんと読むのは初めてだ。読んでみると、「採用する側」の考え方、心理が事細かに書いてあってなかなか面白い。だがちょっと気になった。

昨日か一昨日か忘れたが、読売新聞に、大手企業ですら新入社員の三分の一が3年以内にやめていくという記事があった。人が会社を辞める理由には様々なものがあろう。しかし、企業側は「なるべく長く勤めて欲しい」(日経連の言う「長期蓄積型」)と思って採用しているはずなのに、この実体は、何を意味するのか。
先に述べたように、辞めるのには様々な理由があるが、三分の一という数となると、その背景を考えざるを得ない。俺は、背景の一つに、採用制度の不備を指摘したい。
もちろん、大学のモラトリアム的性格や、昨今の雇用情勢は大きく関与しているであろう。しかし、面接に重きを置いた採用制度に、俺は大きな疑問を感じている。

まず、こうしたハウツー本をちゃんと読めばパスできてしまう面接に意味があるのかということ。面接官は受験者の対応を通じて人間性や考え方を見たい筈であるが、このように「面接モード」で武装されては、普段着の受験者が分からないであろう(入社後も常に「面接モード」の如き仮面をかぶっていられるならそれもよかろうが、残念ながら普通の人間には不可能だ)。長時間・長期間仕事をしていれば必ず「地」が出る。見たいのはその地であろうが、賢い受験者はハウツー本でそれを隠す。ならば、面接など茶番ではないか。

次に、これは論理立てた主張ではなく、俺の感情的な考え方だが、「人が人を試す」という行為自体が傲慢ではないだろうか。
筆記テストは受験者の学力を客観的に測る。しかし、神ならぬ人が、受験者の人間性を客観的に測るなどということが可能なのだろうか?

人間について、もっと深く考えて欲しい。人間が人間を試す?何様だよ、お前は。
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by g2005 | 2005-05-18 03:39

もう一月が終わろうとしているのに、正月書いたことを今さらアップ

 2005年が始まり、カレンダーは新しい物に代わり、どこもかしこも「あけおめ」で、猫も杓子も「本年こそいい年でありますように」と初詣に向かい、ようやく一段落したのがちょうど今日あたりだと思うのだが(*本文は1月5日に作成)、しかしちょっと待って欲しい。
確かに新しい年と言うことで気分新たにスタートするのはいいことだが、去年の出来事を忘れてしまっては困るのだ。世の中のお母さんが子どもにいつも言っているように、宿題は片づけないといけないのだ。私にとっての宿題は「就職」だろうし、まあ他にも色々ある。皆さんも色々あるだろう。

 ところで、新聞も取っていないしTVも無い僕には世間の「情報」がほとんど入ってこないので、こうしたブログのネタに困る。
例えば新聞の朝刊やヤフーのヘッドライン猟奇的な犯罪やイラク派兵問題や北朝鮮拉致問題なんかがちょっと報道されたとしよう。あなたがその事件に関して「他の人はどう思っているのかな?」と思った時、ブログや掲示板を見れば困ることはないだろう(特定のブログ・掲示板だけでは書き込む層が固定されているので、広範な意見を集めようと思ったら様々なブログ・掲示板を見ないといけないし、そもそもブログ・掲示板自体がある程度「層が固定されている」が。少なくとも、60歳以上の方よりは、20代、30代の利用者が圧倒的に多いであろう)。
ネット上は様々な社会的事象に対する考察・意見であふれている。書き込むネタのない僕はどうしても「自分」や「自分に関係のある事」しか書き込めないので、こうした社会的事象をネタにしたブログ・掲示板を見ていると「楽そうだなあ」と思ってしまう(といっている僕のこの書き込みも一つの意見であるわけだが)。

 基本的にTVや新聞でやっていることは僕とは関係がない。社会福祉・社会保障に関しては関係あるが、別に運動とかやっている訳じゃない僕としては、せいぜい投票行動で「このやろう、俺の保障を奪いやがって」とささやかに一票の反撃をするしかない。じっくりニュースを分析して政策批判することもできるが、実際に政策に影響を与えるわけではない。
結果、せいぜい僕自身がちょっとしたカタルシスを得るくらいだ。もちろん、そうした作業自体を批判するわけではない。世論形成がこうしたミニマムな動きから始まっているという部分があることは否定できないだろう。

 ただ、最近はその「世論」がいいように「使われて」いる気がするのである。チョムスキーの言うところの「合意の製造」ってやつである。なにしろ、拉致問題もイラク問題も今のところ僕とはあまり関係がないし、大部分の人びとも同様の筈なのに、この大騒ぎっぷりである。騒ぐべきことはイラクと拉致だけではなく、他にもあるはずなのに、だ。バイアスは存在しないと主張する方が無理があろう。
 もちろん、拉致被害者には同情するから募金箱に小銭を入れたりするし(同情は連帯を拒否した時生まれる、という言葉があるが、何もしないよりマシということで)、自分の友人がイラクまで行って殺される可能性を無視できない、効率の面から行ってNPOを無視した国際貢献などあり得ない、金かかりすぎ、どう考えても違憲etcetc…といった理由からイラク問題に関して是とは言えない。突き詰めて考えれば、「俺が拉致られた時、政府は俺を守ってくれるのか。そもそも拉致られちゃうような国家間関係や国防って何よ」という点で関係があるし、「俺たちが払った税金は、どのように使われているのか」と考えればイラクって関係がある。ジョン・レノンは1969年(今から36年前!)に「誰もが戦争には責任があるんだ。だから全員が何かをやるべきなんだ」と言ったが、視野を広げればそういうことだろう。
 しかし、皮膚感覚として、僕と拉致問題やイラクは関係ない。多分ブログや掲示板で大騒ぎしている人たちも僕と同じレベルで関係があったりなかったりするはずだ。したり顔でTVに出てくるコメンテーターも、まあ似たようなもんだろう。ある意味、想像力豊かな人びとではあるが、その想像力が「では、拉致問題ほど酷くはなくとも、他の解決されるべき人権問題はないだろうか」とか「イラクで国際貢献って言ってるけど、アフガンはどうした?アメリカに破壊された具合ならばニカラグアやスーダンの方が数倍(現実には数百倍)酷いのではないか?北朝鮮はテロ支援国家どころかテロ実行国家なのになんでアメリカはイラクやアフガンと同じ理屈で攻撃しないんだ?」といった問いに及ばない点で、致命的に欠如している。「ドミニカ訴訟」はどうなんだ。沖縄における米軍の不法土地占拠は問題にしないのか。水俣病訴訟において最高裁が行政責任を認めたにも関わらず「司法と行政は違う」と未だに言い続ける厚生省は問題にしないのか(アメリカも、ニカラグアに対するアメリカの侵略行為を違法とした国際司法裁判所の判決を無視し、その直後にニカラグアにおける攻撃対象を「ソフト・ターゲット」=農協や診療所などに変更したが)。結局は、マスコミに与えられた問題に関して議論「させられている」だけじゃないのか?「合意の製造」に一役買っているだけなんじゃないのか?


Just victims of the in-house drive-by
They say jump,you say how hige

家庭内ドライブ・バイの犠牲者ってわけさ
ヤツらが飛べと命じれば、とっさにお前らは訊き返す、「どれくらい高く?」と

(RAGE AGAINST THE MACHINE "BULLET IN THE HEAD")
*ドライブ・バイとは「アメリカの大都市の治安の悪い地域で起きる発砲事件」で、「90年前後のLAでドライブ・バイといえば、無差別殺人を意味した」。レイジのアルバム"LIVE AT THE GRAND OLYMPIC AUDHITORIUM"の注より。


 話を戻そう。前にも書いたが、結局問われるのは「個」だ。「公」的問題を語る時、「で、そいいうお前は誰なんだ?」という問いが必ず立ち現れる。その問いに答えるためには、「公」的問題への個人的なアプローチが必要だと思う。自分との関係性で物事を語らない限り、結局は昨日見たTVドラマについて論じているのと変わらないのではないだろうか。
 一度、「自分の宿題」に立ち帰ろう。別に「自分のことも出来ないくせに、公の問題を語るな」などと言うのではない。その論法で言えば、誰もしゃべれなくなってしまう。自分の立ち位置から眺めることが、「飛べと命じ」られた時に「どれくらい高く?」ではなく、「なぜ」と聞き返せるようになるのではないだろうか。
 
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*アメリカによるニカラグアやスーダンへの「テロ」に関してはノーム・チョムスキーの「覇権か、生存か」(集英社新書)、および「9.11」(分春文庫)を参照した。現在の国際情勢を考える上で必須の参考書なので、まだ読んでいない方は急いだ方がいい。
 チョムスキーによれば現在アメリカが採用している先制攻撃理論はキューバやニカラグアやその他の地域で「昔からやっていたこと」らしく、特にニカラグアに関してはアメリカによる間接・直接介入という名の「テロ」が国際司法裁判所という最高の権威により断罪されたという弁解の余地のない事実があるため、まさに教科書的ケースとして学ぶことができる。
 ちなみに、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのギタリストでありザック・デ・ラ・ロッチャと共に中心人物であったトム・モレロはチョムスキーを熟読しているという。
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by g2005 | 2005-01-22 17:14