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超久々

前回書き込みから退職後、派遣として世の中を転々としてきた。
今後はそのことを適当に書き散らして行こうと思う。
今は無職で、転職活動中だが、28歳&不景気ということでかな~り厳しい。
書類選考は70社、面接は15社くらい受けたが、内定が出たのは2社。
うち1社は「すいません、もっといい人来ちゃったんで」と取り消し。
もう1社は求人票と全然違う仕事だったのでこっちからパス。

うまくいかないもんだね。
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by g2005 | 2009-06-02 09:52 | 主張

ボーナスに関する考察

 明日ボーナスが出るらしい。月給×2.2×能力(平均は1)らしい。俺の勤める会社は一応業界最大手なのだが、まあもらえるだけ有難いとも言える。ちょうど今日(昨日)まで朝日新聞で連載されていた派遣関係の連載では本当に酷い実態が綴られていた。
だが、俺は1日2~3時間(月40~60時間)残業しているが、残業代ゼロである。あとでもらった残業代とも言える。
なぜボーナスはちゃんと払うのに残業代は払わないのだろうか?法的には、ボーナスを払わなければならないという規定は無いはずだ。だったら、残業代はしっかり払って、ボーナスは気持分だけ、というのが本来の有り様ではないのだろうか。

 思うに、使用者の側には、以下に挙げるようなメリット?がある。
・労働者は、残業代を出すようにすると、残業代目当てでダラダラと仕事をするようになるのではないかという思いこみから、残業代をカットした方が効率が上がると思っている。
 →俺の勤務する会社では、7月ごろから残業代が全額カット(それまでも月10時間までという秘密内規があった)になったが、誰一人としてそれまでより早く帰るようになった者はいない。逆に「ふざけんなよ」と搾取に憤る者の方が多い。要は、中間管理職がしっかりしていればそんなことにはならない。
・ボーナスという形で出すと、労働者に対して「特別にくれてやっている」という感じがする。
・ボーナスという形ならば、業績がちょっとでも悪ければ速攻でカットできる。


 また、これは俺の勤務する会社の話だから一般化はできないが、社長はもう少しで引退して、引退後は東南アジアあたりで学校を作るらしい。最近ジョージ・ソロスやビル・ゲイツが似たようなことを何百倍のスケールで発表したが、流行なのだろうか。彼ら使用者には、共通の認識がある。

・儲けた者勝ち。(基本的にホリエモンと変わらない。)
・儲け方には多少強引さがあっても(搾取構造があっても)OK。なぜなら、労働者に金をやってもろくな事に使わず、だったら自分が慈善事業に使った方が効率よく社会を改善できる。
・なぜ労働者が金を持ってもろくな事に使わないかと言えば、彼らがアホだからである。

 こうした認識は使用者特有の物ではない。ノーム=チョムスキーが『メディア・コントロール』の中で指摘しているように、自由主義者やその親戚は基本的にこの考え方だ。知識人は公共の事柄に対して冷静かつ客観的判断が出来るのに対して、大衆は「とまどえる群れ」である、というように。マルクス主義者も「大衆=バカ、知識人=大所高所に立って判断できる」という認識では全く同じである。彼らには「自身が悪の根元の一部である」という認識が決定的に欠けている。もちろん、必要悪という部分もある。有能な使用者が社会を引っ張るという竹中平蔵式構図はある程度は有り得る。結局程度の問題で、必要悪を通り越して、悪の権化と化している者が多いと言うことだ。

 だが、こと「金の使い方」に関しては、我々労働者よりも、利用者の方が賢いということを俺は認めざるを得ない。なぜなら、彼らは「金を使う」ということにおいて、労働者よりもはるかに高い経験値を持っているのだから。我々は経験がない。大金を持ったことがない。もっとも、その理由の幾分かは彼ら使用者のせいなのだが。
 だが、見落としている点がある。使用者は数えるほどしかいないが、労働者はもの凄く多いということだ。多くの視点があり、多くの経験がある。なぜ自分の視点のみが唯一至高で、自分の経験を絶対化するのか。
 東南アジアに学校を作る?そんなこと俺にはできないし、しない。例え100億持っていても。それよりも、通勤途中で毎日オープンビバーク(青空の下での露営)しているおばあちゃんに、寝袋の1つでも差し出したいと思う。俺には借金があるので、それを返す目処が立ったら、今使っている寝袋を提供したいと思っている。
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by g2005 | 2006-12-08 01:03 | 主張

身近な「いじめ」と社会

 金曜にJR大塚駅から家に帰る途中にある中学校で、1階の廊下や体育館に明かりがついていたのを見た。体育館はたまに地域の人がバレーなどで使っていて、夜遅くまでついていることもあるが、学校の校舎まで明かりがついていた。
「なんだろーな?」と思ったが、こういうことらしい。以下参照。

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いじめ自殺予告日パトロール 「相談して」先生ら待機
 いじめを苦にした自殺予告の手紙が文部科学省に届けられた問題で、予告日にあたる11日、手紙が投函(とうかん)された可能性が高い東京都豊島区では教育委員会や学校、警察が校内を巡回したり、周辺をパトロールするなど警戒態勢を敷いた。

 問題の手紙は6日午前、文科省に配達。差出人は不明で「8日までにいじめの状況に変化がなければ11日に学校で自殺する」という内容だった。

 豊島区を管轄する警視庁の3署は学校周辺を中心にパトロールを実施。また、豊島区教委では職員が10日夜から泊まり込み、24時間態勢で対応している。各校でも管理職の教諭らが宿泊しており、同教委は「校舎の電気をつけて職員が待機することで、校内に相談できる人がいることを伝えたかった」と話した。

 一方、手紙の消印が「豊○局」だったことから、大阪府豊中市でも、当初は市教委が10日夜から11日にかけて校舎内の巡回の強化などを予定。しかし、伊吹文明文科相が投函されたのは東京都豊島区である可能性が高いとの認識を示したことから、これらの取り組みは中止した。

 また、同府豊能町では、町教委の職員は11日、町役場に出勤していない。

 府教委は問題判明後の7日に府内の公立小中学校、盲・聾(ろう)・養護学校を対象に、自殺予告の手紙に該当する子供がいないか確認作業を実施したが、該当事例はなかった。このため、10日夜から府教委の担当者は待機して警戒したが、11日午前2時で帰宅。その後は、府内市町村教委や文科省と緊急連絡が取れる態勢をとっているという。

(11/11 16:00)(産経新聞)
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 なるほどね…。無給でご奉仕、お疲れ様です。本当に偉いと思う。俺ならぶち切れるだろうから。「大臣様も、教育長様も一緒に寝泊まりしましょうよ!」ってね。
 それにしても、中学生はええのう。資金繰りに困った中小企業の社長や、仕事に疲れ果てて明日に希望を見いだせないリーマンを中心に年間3万人以上が自殺している一方で、(形の上では)これだけ心配されているのだから。彼らの中には、ちょっとした融資や、ちょっとした労働条件の改善があれば、死なずにすんだ人もいたはずなのだが、そのことには完全に「記憶口」*送りにされている。当然だ。
 ガキを心配する教育現場・教育行政には金がかからない。美談ですらある。一方、融資や労働条件改善には金がかかる。
 ガキの一人や二人が自殺予告の手紙を出したぐらいのことに大騒ぎするのは、「バランス」を欠いているのでは無かろうか?今から10年前の「いじめブーム」の時にも全く同様のことあった(送り先の大部分は学校や教育委員会ではあったが)。いじめ自体を無くそうする努力は必要だ。重大な人権侵害である。本人にとっては「生き地獄」である。しかし、「生き地獄」は他にも色々ある。ぜひともマスコミにはそちらの方も流して頂きたいものだ。
 大体、社会が権力・経済力・武力によるいじめを容認しているのだから、社会のミニチュアたる学校社会でいじめをなくそうってのも無理がある話ではないだろうか。

 「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに対する回答の一つに、こういうものがある。「人を殺すことを容認するということは、自分が殺されても文句は言えないということになる。さらに、弱者は強者によって殺されることになるが、君がいつも強者の側に立てる保証はない」。
 つまり。お前が生き延びるために、人殺しはいかんのだよ、ということだ。殺人のモラル的側面を抜きにすれば、「全員が、全員を殺す権利を持つ」ということは平等であるが、実際には弱者は強者を殺せず、不平等な社会となる。だからよろしくないということだ。実際に方理論の本でこういった理屈が載っていた(なぜ自力救済が禁じられているかを論じた小論だった。)

 しかし、現実に社会は不平等である。身近な例では、社長は「サービス残業」により、労働者(俺)の時間を奪って「緩慢な殺人」を日々行っている。同じ階に住む痴呆症のばあちゃんは、風呂もガスもないこのアパートで一人暮らしをし、公的支援から見放されている。このアパートから200m歩いた所にある、一階が高級ホテルのロビーみたいになっている巨大マンションは全室完売だ。サンシャイン通りを抜けた先(東急ハンズの先の交差点)の首都高高架のガード下にある中央分離帯は、ホームレスがたくさん住んでいたが、先月あたりに有料駐輪場にされた。ガードレールと段ボールの向こう側が道路なので何かの拍子に落ちる可能性があり、排気ガスも酷い場所だったが、雨風をしのげ、ホームレス狩りも行きにくい「安全な場所」だったはずだ(そうでなければあんなに段ボールハウスが建つ筈かない)。ホームレスがいなくなって「美しく」なったわけだ。追いやられた彼らは、今どこに「住んでいる」のだろうか(何もあそこを「有料」駐車場にせずとも、駐輪問題はいくらでも解決のしようがあったと思う)。
 まことに「美しい国」ではないか。かつての「無らい県運動」*のごとく、社会的なマイノリティー(たいていの場合、マジョリティーにとってマイノリティーは「異物」であり、異物は醜く見える)は視野の外に追いやられ、彼らの意見や、下手をするとかつて存在したという事実は「記憶口」に放りこまれることになっている。

 CNNのニュースによるとアメリカが安保理で拒否権を発動し、賛成10、棄権4の決議案を記憶口送りにした。決議案は、『イスラエル軍が8日、ガザ地区北部の住宅地を砲撃し、住民18人が死亡した問題を受けて、カタールが提出。イスラエルにパレスチナ自治区での軍事作戦を直ちに中止するよう求める内容だった。決議案には一方で、ガザからイスラエル領にロケット弾を発射するパレスチナ武装勢力を非難する文言も盛り込まれていた。』という。もし、「人を殺してはいけない理由」が「自分も殺されるから」ということなら、反撃を食らうことはあってもほぼ殺される怖れのない「帝王」*とその友人たちは、殺人を思うままに行うことができる。

 「なぜいじめてはいけないのか?」教科書通りに答えるのは簡単だ。だが、世の中は教科書通りにできていない。むしろ、教科書を作った人々が人をいじめて涼しい顔をしているのが現実だ。

 なんだかいじめを結果的には容認するような文章になってしまった。今現にいじめられている子供にとって何の足しにもならないどころか、腹が立つかも知れない。現にあるいじめに対処しようと、泊まり込む職員を俺は尊敬する。そういうアプローチは大事だ。俺だって教育現場にいたら「いじめはダメだ」と絶叫し、色々理屈を並べ立てて絶叫を補強し、過去のケースにのっとり、加害者を出席停止にしたり、被害者を転向させたりといった対処をするだろう。いじめの原因をさぐり、ストレスや家庭環境、色々あるかもしれない原因を一つでも多く解決しようとするだろう。
 だが、俺は教育者でもないし当事者でもないから、言いたい放題だ。「いじめはよくない」「きみはひとりじゃない」…もうたくさんだ。世の中は理不尽な暴力と、ひどい搾取と、狂気じみた圧迫でできているし、個人に目を当てれば、65奥億の孤独がある。それをおざなりしてキレイゴトばかり言うのに腹が立っただけだ。でも、キレイじゃない世の中を見すえて、子どもたちに本当の事を語り、その上でもう少しマシな世の中を子どもたちに託せるよう努力するのが、まともなオトナの仕事ではないだろうか?だから、嘘ばかりつくのはやめろ!
 俺は嘘をつきたくないので、もう少し金を貯めたらよりよい生き方を探すべく失業者になる予定だ。早ければ3月かな…




*「記憶口」とは、オーウェルの「1984年」に出てくる穴。過去の雑誌・新聞と言った「記録」を抹殺するのに使う。「1984年」の書評としてはコチラ(http://blog.drecom.jp/tactac/archive/305)が優れている。「1984年」に画かれた社会の射程の広さを再評価しつつ、オーウェルの持つ人種主義的傾向を指摘している。
*「帝王」はチョムスキーの言い回しをパクった。
*無らい県運動とは、昭和初期に行われたハンセン病患者/元患者の強制隔離運動・政策。参考ページはコチラ

三重県の無らい県運動を具体的に記述しているページ。(http://www.pref.mie.jp/bunka/TANBO/hakken/page78.htm)

国立療養所菊地恵楓園のHP。ハンセン病全体について。
(http://www.hosp.go.jp/~keifuen/)
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by g2005 | 2006-11-12 18:00 | 主張

久々投稿

 約半年のブランクの間、まあ色々考え、思うところもありました。
 主張が無くなってしまったわけではありません。結局、どこへ行こうが何をしようが、本質的なことは何も変わらなかった、そのことを理解した半年間でした。

 九州にいることはエサもろくに食わせてもらえない犬でした。噛みつく牙はありましたが、噛みついたが最後屠殺処分です。そんな「冥土のみやげ」的な神風アタックはできませんでした。
 で、半年前、東京に来てみました。エサは多少良くなりました。でも、やっぱり飼い犬は飼い犬でした。結局俺は奴隷でした。「最強伝説 黒沢」に画かれているように、まさに「社会」の壁は厚すぎます。
 それでも俺は歌うでしょう。あきらめないでしょう。あきらめて心まで飼い犬になったほうが、おそらく出世したり給料がよくなったり、楽になったりするでしょう。他人をこき使って自分は楽をする人間になったほうが、TVを見て笑っていた方が楽でしょう。
 でも俺は、せめて心だけは人間でいたいのです。

 毎日サービス残業を強いる会社よ、俺のことを笑う上司よ、俺のことをキチガイ扱いする同僚よ、ありがとう。
 あなた達のおかげで、「敵」の姿を見失わないで済みました。
 危うくウマいエサに誤魔化されて、苦しい戦いを続けている人々のことを忘れる所でした。
 あななたたちのおかげで、ちょっとした個人的な好待遇という「小さなYES」の愚かさに気付くことができました。俺に必要なのは「小さなイエス」ではなく「大きなYES」でした。


 というわけで、今週からまた発信して行きたいと思います。
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by g2005 | 2006-09-09 01:25 | 主張

 「ワールドカップとか興味ないッス」って言ったら会社で変人扱いされた

ワールドカップの応援でケンカが起きたらしい。
しかもその理由が俺にとってさっぱり意味が分からない。以下はスポーツ報知より引用。
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<PV会場でサポーター暴発「負けたのに笑ってるんじゃねえ>
 サッカーW杯での日本代表の大逆転負けがサポーター同士の乱闘騒ぎまで巻き起こしていたことが13日、分かった。中田英寿選手の出身校・韮崎高がある山梨県韮崎市で行われた日本-オーストラリア戦のパブリックビューイング(PV)を終えた若者約10人がけんかに巻き込まれ、3人が負傷した。目撃者の証言によると、「負けたのに笑っているんじゃねえ」などの大声が聞こえたという。ジーコ日本のショッキングな敗戦が、一丸となっていたサポーターの内乱まで呼んでしまった。

 “中田の街”でサポーターの不満が爆発した。“舞台”となったのは、韮崎市の市営総合運動場体育館の駐車場付近。日本-オーストラリア戦のPVが終わった13日午前零時ごろ、「試合後で興奮していた」(同市職員)20代から30代の男性が、男女4人組のうち男性2人に対し、「日本が負けたのに、なにがうれしいんだ」と言い募ったのをきっかけに、サポーター10人を巻き込む乱闘に発展した。

 制止しようとした男性1人を含め3人が殴られ、うち1人が救急車で運ばれるなど、顔面や腕、足に打撲などのけがを負った。目撃者の話では「負けたのに笑ってるんじゃねえ」と言い争う声も聞こえたという。殴りかかった男性はそのまま逃亡。山梨県韮崎署では暴行事件として、負傷者や目撃者らから事情を聴いている。

 日本代表の中田英寿選手の母校、韮崎高校がある同市ではこの日、市営総合運動場体育館に大型スクリーンを設置。入場無料で、市民に限らず、誰でも観戦できたが、アルコール類の持ち込みは禁止。観戦者500人に市の職員40人が警備に当たるなど、万が一の暴動時の予防線は張っていたがトラブルは起こった。
(注:以下略)
2006年06月14日08時15分 スポーツ報知

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 前から思っていたのだが、なぜ見ず知らずの他人がスポーツをするイベントでここまで盛り上がってしまうのだろうか?
 仕事で疲れて、まだ週も半ば、たまにはスポーツ観戦でひいきのチームを応援してウサを晴らすか、というなら分からないでもない。そういう息抜きも必要だ。一部の天才を除いては、そこまで目的合理的には生きられない。
 だが、なぜここまで一体化できてしまうのだろう?このケンカを売った「サポーター」なる人々には「自分」がないのだろうか。なんだかファッショな感じがする。自分以外の人間がどう考えているかは関係ないらしく、自分と同じようにすることを求め、気に入らないから殴る。うーむ、ファッショ。自分の大事なモノをけなされたので切れたということなのか?熱狂的なサポーターにとって日本代表とはそんなに大事なのか?
自分じゃないのに?
 「兄弟」と呼んでいる自分の親友が笑われたら、俺も同じコトをするだろうけどね。それくらい大事なのかな?



 グリーン・デイはアルバム「アメリカンイディオット」で、あるパンクロッカーの生涯を描く。郊外に生まれた少年(ジーザス・オブ・サバービア)は孤独を抱えながら成長し、やがてパンクの季節を迎える。無敵のパンクロッカー「セイント・ジミー」はセックス・ドラッグ&ロックンロールな生活にハマる。
 渋谷陽一によると、カート・コバーンの死以降、パンクも含めた広義ロックはこの世界観を乗り越えることができなかった。パンクの季節が終わりに近づくと、若者は、イノセントを抱えながら矛盾に耐えられず死ぬしかなかった。
 だがグリーン・デイはそうは歌わなかった。確かに「セイント・ジミー」としてのパンクロッカーは「自殺」した。パンクの季節を「卒業」したかつての少年は家に帰るというストーリーだ。
 なぜ生きて帰らなければならなかったのか。グリーンデイのバンドメンバーが結婚し、子供がいるメンバーもいることと関係があるのかも知れない。家に帰って、親として子供に係わらなければならないし、子供が幸せになれるようクソッタレな世界をなんとかしなければならない。だから家に帰れとグリーン・デイは歌う。それは、ライブアルバム「ブレット・イン・バイブル」からも明らかだ。

 「たまにはパンクで暴れろよ。暴れてスカッとしたら家に帰ってやるべきコトをやれ」

 ワールドカップで熱狂するのもいいだろう。だがそこにお前はいないし、いくら熱狂しても何も変わらないという絶望があるだけだ。自分が主役であるべき場所-家に帰り、やるべきコトをやらないといけない。そうしなければ何も変わらないし、成長もできない。かりそめの一体感は味わえてもその後に残るのは空しさだけだ。その程度のことがまだわからないのだろうか。
 韓流オバサンも2次元オタクもジャニーズ追っかけもオウム信者もワールドカップ熱狂的サポーターもメンタリティーとしては同じだ。自分以外の何かに異常にハマってしまうメンタリティ。主体性の欠如。お前の人生において、一番大事なのはワールドカップで応援することなのか?


 まあ、人生で一番大事なことが見つからないから誤魔化しているのだろう、と俺は思う。本人たちは否定するだろうけど。
 俺にとって人生とはクライミングであり、バンド(といってもまだ2回しかセッションしていないけど)であり、それを一緒にエンジョイする仲間との時間だ。


 鈴木謙造というクライマーがいた。アルプスのリスカム北壁をフリーソロし、その下山中の気持ちを彼はこう書いている。

「僕は鈴木謙造でよかった。涙は出ない。涙は感情表現の極みでは無いみたいだし、終わった後の感情は、いつだって期待していたものとは違う」

 ワールドカップで騒いでいる人にこの文章の意味は分からないだろう。自分の力で望んでいたものを手に入れたとき、こんな気持ちになるのかも知れない。俺は残念ながらそこまでは打ち込んでいないし、全身全霊をかけてはいない。いつかは鈴木謙造さんの視点に立ちたいと思うし、近づけるだけ近づこうと思っている。一方、ワールドカップで熱狂的に応援している人々は、永遠に中田や稲本の視点に立てることはないだろう。近づくこともできないだろう。
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by g2005 | 2006-06-15 23:19 | 主張

人の上に立つ、ということ

 本日は12時間勤務。ま、いいけどね。それよりも某幹部の発言が心に残るなあ。
 はじめてぶっちゃけますが俺は塾講師です。先日の幹部の、学費未納の生徒についての発言。いうまでもなく、払わないのは子どもでなく親。現場としては、子どもを傷つけずに親から金を戴くのがベストな対応であるのだが。


 「料金を払わないまま通塾するということは、お金を払うというルール守らなくても良い、と言うことを教えているような物です。だから、2ヶ月滞納した時点で生徒本人と面談して、あなたはお金を払っていないから通うことはできないと伝えてください。そうすれば未納金が3ヶ月、4ヶ月と溜まることはないでしょう。
 大体、子どもは、親が学費を払っていないことくらい気づいているはずなのです。だから、自分で新聞配達するなり、家事を手伝うなりすればいいのです。それが本人の勉強にもなります。」


 細かい部分はうろ覚えだが、生徒本人にぶっちゃけろと言うのである。その方が本人のためだと。なるほど。確かに教育学でいう「ヒドンカリキュラム」ではありましょう。だから、悪いことを学んでしまう前に、子どもを傷付けてもいいからぶっちゃけろと。それが子どものためだと。
一見正論に見えますが、正義の名の下に爆撃するどこかの国にそっくりな理屈です。相手のことを考えているようでいて、実は自分の都合しか無い所なんか実にそっくりですこの世のどこに、目の前で傷つく子どもを見たい人間がいるのでしょうか?しかも教え子ですよ?そんなことをしたらその日一日鬱で仕事できません。ていうか自殺したくなります。それとも「仕事」と割り切れとでも?





痛みは初めのうちだけ 慣れてしまえば大丈夫
そんなこと言えるあなたは ヒットラーにもなれるだろう
(THE BRUE HEARTS"ロクデナシ" )





 ところで、労働基準法を無視してサービス残業&早出させまくっているのはルールに反しないのでしょうか?
 他人に厳しく自分に甘いお方です。逆に、こういうことが言える人だから、人の上に立てるのでしょう。


 人の上に立つと言うことは、文字通り、人を人と思わず、踏み台か何かの如く、相手に思いを馳せることを放棄し、踏みにじって、そのうえに立つということなのかと、齢25にしてようやく理解できました。

マイケル・ムーアやNOFXには悪いけど、日本が銃社会だったらなあという思いを禁じ得ません。


 長くなりましたので、最後に、国連機関の1つである国際労働機関(ILO、当時は国際連盟の専門機関)が1944年5月に採択したフィラデルフィア宣言を、前投稿でも引用しましたが、引用しておわりにしたいと思います。一応念のためにいっておきますが、日本もILO加盟国であります。


国際労働機構の目的に関する宣言
 国際労働機構の総会は,その第26回会期としてフィラデルフィアに会合し,1944年5月10日,国際労働機構の目的及び加盟国の政策の基調をなすべき原則に関するこの宣言をここに採択する。

1 総会は,この機構の基礎となっている根本原則,特に次のことを再確認する。

(a) 労働は、商品ではない。
(b) 表現及び結社の自由は、不断の進歩のために欠くことができない。
(c) 一部の貧困は、全体の繁栄にとって危険である。
(d) 欠乏にたいする戦いは各国内における不屈の勇気をもって,且つ,労働者及び使用者の代表者が,政府の代表者と同等の地位において,一般の福祉を増進するために自由な討議及び民主的な決定にともに参加する継続的且つ協調的な国際的努力によって,遂行することを要する。
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by g2005 | 2006-02-19 23:57 | 主張

フィラデルフィア宣言と現在

休日出勤決定。しかも明日は早朝ビラ配り。なんか間違ってない?重役は何もしないで金もらってるのに。


1998年、アメリカ、ニューヨーク市立大のマンツィオスは、こう指摘したという。

「企業の経営最高責任者一人が、六五人の労働者の生涯賃金を一年で稼いでしまうのである。人口の所得上位1%の所得が下位90%の人々の賃金より多いのである。」
(「ルポ 解雇 -今この国で起きていること-」184ページ/島本慈子著/岩波新書2003年)

いくら何でもそこまで格差は無いと信じたい。だが、一体このままではどうなってしまうのだろうか。


以下に引用するのは国際労働機関(ILO)のフィラデルフィア宣言である。


国際労働機関の目的に関する宣言

 国際労働機関の総会は、その第26回会期としてフィラデルフィアに会合し、1944年5月10日、国際労働機関の目的及び加盟国の政策の基調をなすべき原則に関するこの宣言をここに採択する。
 1 総会は、この機関の基礎となっている根本原則、特に次のことを再確認する。
 (a) 労働は、商品ではない。
 (b) 表現及び結社の自由は、不断の進歩のために欠くことができない。
 (c) 一部の貧困は、全体の繁栄にとって危険である。
 (d) 欠乏に対する戦は、各国内における不屈の勇気をもって、且つ、労働者及び使用者の代表者が、政府の代表者と同等の地位において、一般の福祉を増進するために自由な討議及び民主的な決定にともに参加する継続的且つ協調的な国際的努力によって、遂行することを要する。



 日本がなぜアジア太平洋戦争を引き起こしたのかを思い起こして欲しい。寄生地主による搾取で農家は食っていけず(一部の貧困、と言っても当時の国民の大多くは農民であるが)、次男三男を働きに出し、工場では財閥による搾取が待っており、まともな生活が送れない。従って内需は期待できず、産業は輸出依存型になるが、そもそも不当に安い賃金で国際競争力をつけているわけで、輸出先との貿易摩擦は必至…。賃金の代わりにナショナリズムで「満足感」を演出する。
今と似ていませんか。
不当に安い賃金は、結局平和のためにならんということです。
→貿易摩擦が起きるから
→ナショナリズムが燃え上がるから
の二点から。今、お隣の国を見ていたらまさにそうでしょう。あれは戦前の日本と全く同じであるし、程度の差はあれ現在の日本と同じです。

さらに、格差が広がり、固定化すると、暴力で社会をひっくり返そうとする人も出てくるでしょう。そんな社会を作りたいんですかね。
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by g2005 | 2006-02-07 02:52 | 主張

音楽とメッセージ性

 システム・オブ・ア・ダウンというバンドがいる。メンバーはアルメニア系アメリカ人。彼らの音楽は、ざっくりといってしまえばルーツである中東系のメロディと、アメリカ的ハードロックのミクスチャーである。しかし、それを越えた何かがある。圧倒的音圧の中に潜む、得体の知れない何か。確かに、政治権力を批判するような歌詞が読みとれるが、正直なところ意味不明である。しかし、何となく圧倒され、そして、感じるのである。

 バンドメンバーはインタビューで「リスナーが音を聞いて何かを想像してくれれば成功」と言っている。俺には、彼らの音が、まるでピカソの「ゲルニカ」と同じ衝撃に思えた。


 素直に政治権力に対して「FUCK!」という戦い方がある。思っていることをそのまま若さに任せて言ってしまうわけだ。ロックな戦い方である。

一方、「FUCK!」を理論武装させ、論文、新聞記事、ブログなどに載せて、論理的に伝えるという手段もある。これはオトナな戦い方である。

システム・オブ・ア・ダウンがやっていることは、このどちらでもない。
ピカソがゲルニカを描いたことと、本質的に同じである。
言葉になる以前の巨大な感情を、キャンパスにぶつけること。
言葉になる以前の巨大な感情を、ギターやベースやドラムやマイクロフォンにぶつけること。

システム・オブ・ア・ダウンは「アーチスト」と呼ぶに値する唯一のバンドだと思う。
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by g2005 | 2005-12-23 01:44 | 主張

国語力と「自ら学ぶ力」の低下に嘆く ~靖国訴訟に見る小泉首相とネットウヨの学力低下~

<首相靖国参拝>小泉首相「違憲ではない、理解に苦しむ」

 小泉純一郎首相は30日の衆院予算委員会で、首相の靖国神社参拝について違憲判断を示した同日の大阪高裁判決について「私の靖国参拝が憲法違反だとは思っていない。首相の職務として参拝しているのではない。それがどうして憲法違反なのか、理解に苦しむ」と述べ、反論した。松本剛明氏(民主)の質問に対する答弁。首相は同日夕、判決が自らの参拝に与える影響を記者団に問われ、「ま、ないですね、(判決自体は)勝訴でしょ」と述べ、否定した。
 答弁で首相は「私は戦没者に対する哀悼の誠をささげるということと、二度とあのような戦争を起こしてはならないという気持ちで参拝している。それが憲法違反であるというのはどういうことか」と判決を批判。年内の参拝の予定については「適切に判断する」との立場を改めて示した。【尾中香尚里】
(毎日新聞) - 10月1日1時29分更新


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 多分日本語読めないんだろうなあ…トモダチのブッシュジュニアも英語分からないみたいだし(*1)。随分前に宮台真司氏が「驚くべきはその国語力の低さ、批判対象にもならない」と切り捨てていたが、まったくその通り。

 「政教分離」の意味すら分からない男が、この国の総理という異常事態。どういう気持ちで行こうが、彼が政治家でいるうちは違憲だ。なぜなら特定の宗教を助長するから。政治家の自由?政治家になった時点でそんなものは無い。辞めてから行け。

 更によく分からないのは、「死者を敬う」はずの参拝なのに、神式で参拝していないという事実。それこそ死者の冒涜だろう。敬う気持ちがあれば神社のルールはどうでも良いということか?なんで真性右翼は怒らないんだ?彼こそ死者を冒涜している。




 そして、判決文の意味も分からず「傍論」という言葉を連呼する人々。
確かに、「ジュリスト」「判例時報」など、ナマの判決文が載っている雑誌は大学生協くらいだし(都会だとそうでもないか?)見たことない人が多いだろう。

 通常、判決文は「主文」と、「事実及び理由」で構成される。
 主文はまさしく「原告の要求を却下する」とか、「被告は原告に対して金員100万を支払え」とか、裁判の結果として原告や被告が何をすれば良いのかという部分だ。
 これに加え、「事実及び理由」が書かれている。主文だけでは、なぜその主文のような結果になったのかがサッパリ分からないから、双方の請求、双方の主張する事実、それに対する裁判所の事実認定と、事実認定に基づいた請求への判断、すなわち「事実及び理由」が加えられる。今回「傍論」と言われているのはココである。法学の世界では主文だけ見て判断することは有り得ず、事実認定は妥当か、事実に対する裁判所の判断は妥当か、という風に見る。

 今度の「事実及び理由」(傍論)では、参拝が公務で、特定の宗教を助長するから政教分離に違反しているから違憲、というようなことを書いていたらしい(判決文原文がないので新聞記事から類推している)。
 勘違いしないで欲しいのは、「主文」に「被告小泉の行為は憲法違反である」とか、そうゆう書き方はしないと言うことだ。
 小泉首相の参拝に対して違憲性を求める訴訟には、「小泉の参拝により精神的損害を受けた」と言う以外のロジックは、法的には存在し得ない。ある政治家の行為や、ある法や行政処分の違憲性について直接問うという法理は日本の法体系にはないからだ。だから訴状で違憲性を問おうが何を書こうが、結局は裁判所は、「小泉の参拝により精神的損害を受けた」と言う部分について、具体的な事実に即して判断するしかない。(じゃあ「謝罪文」とか「謝罪広告」はどうなるんだと言うと、「原状回復」という考え方に則って、被害を回復しているに過ぎない。賠償金も、本来不可逆的な肉体的・精神的損害を金で回復させようとする試みに過ぎない)
 で、その「傍論」の中の具体的な事実認定の部分で、首相の参拝は公務であり、特定の宗教を助長するから違憲、しかし、このことが原告らの精神的損害になるわけではないから(因果関係の否定)損害賠償請求は却下、という判決のようだ。まあ今月1日付けの新聞に本文要旨が載っている筈だから明日職場で読んでみるけど、多分俺の予想通りだろう。


 判決文の構造がわからないと、「主文で勝ったんだから合憲」「いや違憲」という水掛け論になる。まずジュリストか判例時報買って勉強しよう。(大学にいた頃は、データベース使いたい放題で楽だったなあ…http://www.tkclex.ne.jp/index.html)



 例えば、朝日新聞(の引用を使っただけで袋だたきに会いそうであるが、あえて使う)http://www.asahi.com/national/update/0930/TKY200509300136.htmlを良く読めば、明確に首相の行為を「違憲」であると「事実認定」していることが分かるだろう。
 朝日だけだと信じてくれないだろうから(笑)サンケイからも。
http://www.sankei.co.jp/news/050930/sha037.htm
 事実認定で「違憲」と認められたということは、つまり「違憲」なのだ。この意味がお分かりでない人々があふれているようだが、まあネットでは判決文というものがあまり見れないから仕方がない。最高裁HPに下級裁判所も含め少しだけ出ているので(最高裁は事実の判断ではなく法律審なので、最高裁判決だけ見ても大概は意味不明)、読んでみると良いだろう。
 結局、今回の判決は、「違憲であるが、原告らへの利侵害は起きていないので却下」ということなのだ。最高裁のいわゆる「少数意見」とは違う。
 サンケイでは『法に詳しい別の政府筋は「違憲判断は裁判官のつぶやきみたいなもので、極めて恣意(しい)的だ」』などと社説で言っているが、(http://www.sankei.co.jp/news/051004/morning/04pol001.htm)
この「政府筋」は本当に「法に詳しい」のか?最高裁の少数意見と勘違いしたことを祈ろう。あるいはサンケイ記者の脳内政府筋でないことを。


ただ、「上告できない」という政府筋の言い分はある程度理解できる。
何しろ、問題は何一つ解決していない。
最高裁で白黒つけるのはアリだったろう。ただそれは、裁判を支援した者や参加した者
だけが言えるセリフである。外野に言う資格はない。その程度の常識は持っておきたい。


 それにしても、このままでは(国語力の無さか、確信犯なのか知らないが)「傍論だから」と行政府の長が司法判断を無視(本当は傍論も何も判決文中の事実認定)→司法の権威低下、三権分立崩壊になりゃあせんかと心配である。
 
 結局のところ、ある具体的な行政行為や政治家の行為について、直接に違憲性の判断を迫るような訴訟を起こせる法理を持たないと、こうした訴訟は当分終わらないように思える。もっとも、そうした法理を持ったところで何か変わるかはわからない。結局、裁判で原告勝訴しても、世論の後押しがなければ動かないだろうから。最高裁で司法判断が下ったにもかかわらず、「司法と行政は別」と居直る水俣病問題における国のように。


*コメント禁止にします。何かあったらTBで。

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*1ロッキング・オン名物「渋松対談」で、渋谷氏か松村氏か忘れたが、ブッシュが自陣営のテーマにスプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・USA」を採用したことに対して「ブッシュって英語わかんないのかな?」と言っていた。ボーン…はブッシュのよう「愛国」ではなく、そんな「愛国」を批判した歌である。
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by g2005 | 2005-10-12 03:56 | 主張

封建主義国家・日本

鹿児島の労働市場は酷い。
別に鹿児島の労働市場全体を知っているわけではない。だが一応、私も南九州を代表する大手企業(仮にA社としておこう)に勤める人間である。その私の勤める企業をしてサービス残業あたりまえ、二言目には業績あげろなのだから、他も知れたようなものだ。というか、他よりまともだからここまででかくなれたはずだ。

私の先輩で、同じくサービス残業にあえぐNさんは、何よりも土曜に行われる会議が不満らしい。何一つ具体的なプランを出せず、いたずらに時間を浪費する幹部。幹部の前で思い切った発言ができないヒラ社員連。「そんなことやってる時間があったら、営業の1つでもかけるなり、おとなしく休みを取って翌日からの仕事へ向けて英気を養ってはどうか」と思うが、言えないらしい。

サービス残業の酷さは似たようなものだが、俺の場合は営業所勤務で社長や幹部のツラを見ないで済むだけマシか(笑)。ウチの場合、創業者が社長、奥さんが副社長、長男が内部監査の典型的同族経営。社長・副社長はまさしく「殿」である。全ての会議は、上からの方針を確認するためにある。現場に発言権などない。そして、その方針とはすなわち「業績を上げろ」。業績が下がっていることは確かだが、批判の対象は現場社員だけなのだろうか。
 社長一族は「賃貸業」を営む有限会社を経営している。同社は、A社に不動産を貸し、「不動産賃貸料」として1億6千万を受け取っている。鹿児島の一番高い所は、天文館の東千石町で一平方メートル当たり77万、他の市街中心地の上位地点は45~28万後である。
http://www.pref.kagoshima.jp/home/kikakuka/kira/h17tikatyousa.pdf
仮に、A社の一番デカイ建物を賃貸しているとする。あの建物は手持ちのソフトで確認すると、敷地面積24×26=624平方メートル。件の建物は市街地ど真ん中から少し外れているから1平方メートル30万として、土地自体の売買価格が1億8千7百万である。建物は6階建てであるが、いくらなんでも年1億6千万(月1333万)も賃貸料が発生するだろうか?(*1)
また、社長一族の営む有限会社はA社の株式の約50%を保有し、従って配当金の半額を得ているはずだから、前年は配当金だけで6千4百万円を得ていることになる。
どこへ行っても同じ事だが、「サービス残業」が横行している。A社もしかり。俺も平均で月25時間くらい残業している。
にもかかわらず、一体、どうなっているのか。社長一族は何もしないで2億4千万を得ているというのに(さらに役員報酬や役員退職金がこれまたすごいうようだが、財務諸表とかの見方はよくわからないのでパス)、俺は月17万で手取りが15万5千。
文字通り身を粉にして働いているのに、本社(社長一族の城とも言う)からは「業績を上げろ」の一点張り。社長一族を切れば、代わりに俺のような契約社員を単純計算で100人くらい、事務管理とか考えても60人くらい雇えるのだが、その最大の無駄は指摘されない。人員が増えれば、ギリギリのところで回している現場は楽になり、労働効率が上がり、従って顧客の満足度も上がり、収益回復するはずなのに。

なぜこんなことが許されるのか?
これが竹中平蔵の言う、「能力がありかつ努力を重ねて高所得を得ている人々を讃(ほめたた)える税制」か?
確かに創業者は偉大だ。それは認めよう。多少の高所得はよかろう。だが、このような、労働に依らないやり方で金を得て、俺やその他の従業員に「代わりはいくらでもいる」と人間の尊厳を奪うような発言する権利があるのか?

狂っている。

そして、こんなやり方は、おそらく南九州では普通なのだ。いや、日本全国そうなのかも知れない。世界のトヨタですら同族経営である(*2)。

日本は、依然として封建主義国家である。



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*1ネットで検索して近隣の物件を検索したところ、より天文館に近い角地が、築10年、六階建ての4~6階が月51万であった。広さは146.46平方メートル。この条件を件の社長物件にあてはめると、月1366万となり、社長物件の方が安いということがわかるが、ネットで検索した不動産物件は管理料込みで、立地条件も社長物件より良いので、もっと圧倒的な差が出てもおかしくない(社長が建物の管理をしているハナシなど聞いたことがない)。年1億2千万くらいが妥当であろう。
*2トヨタの場合、その豊田家にまともな人間が多かったのか、それとも技術畑出身の現場を知る人間が多かったためか、成功を収めているが。まさに、良い意味でも悪い意味でも「名君」である。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF
http://www.orihime.ne.jp/~toyo-fre/jiten.html

最も、歴史を見れば分かるように、名君より暴君やアホ君主の方が圧倒的に多く、トヨタが成功しているから同族経営も悪くない式の理論には、「木を見て森を見ない批判である」と答えたい。

「体制権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」 アクトン
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by g2005 | 2005-10-04 03:10 | 主張