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THE OTERSと仕事と人生

人には向き不向きがある。おれにはやっぱUKサウンド向いてないかも。それは、話題の(?)ジ・アザーズでもそうだった。ロキオン(最新号)の記事で感情移入しておいたにもかかわらず。でも「LACKEY」の歌詞はグッときた。


たいして払いも良くない職場でおべっかなんか使いたくない
あんたの話なんか聞きたくない、今日も
やつらにこの魂を売る気はない、今日も
おいらの人生、捨てる気はない
("LACKEY")


こう歌ったドミニクは、マーケットリサーチの会社で働いていたという。そして通っていたクラブで「昼はバンドやってる」と嘘こいていたら、いつの間にかライブをやることになり、急遽集めたメンツで演奏して、そのままのし上がってきた。「21世紀のワーキングクラス・ヒーロー」の異名通り、彼らのキッズとの連帯感は半端ではなく、ドミニクは携帯番号をネットで公開して、ファンがいつでも電話をかけれるようにしている。


しばらくどこかに抜け出して、新しい考え方してみたい
バンドを始めよう、心機一転てわけさ
きっと抜け出す手段はある、自由になること考えよう
たたの夢で終わらせちゃまずいからな
("LACKEY")


クソみてーな仕事からドミニクたちは脱出したわけだ。俺の仕事はかなりやりがいあるけど、やっぱ資本主義社会だから情を切り捨てなきゃイカン場面もあるわけで、そういうときはパンクや酒に託すことになるんだろうなー。まだそういう場面はないけど。

アザーズはラジカルなやり方で「あっち側」と戦っている。俺も俺なりに戦おう。アザーズは賛否両論を呼んだ「THIS IS FOR THE POOR」でこう歌っている。

これは故郷を離れた人のための歌
これは群集の中で孤立してるキッズのための歌
故郷を離れた人のための歌
群集の中で孤立してるキッズのための歌

これはがっかりしている人のための歌
その失望ひとつのため
がっかりしている人のため
その失望ひとつのため

これはひどい扱いを受けている人のための歌
毅然と立ち向かう人のための歌
ひどい扱いを受けている人のため
毅然と立ち向かう人のため

これは貧乏人のための歌、おまえらみたいな金持ちのガキじゃなくて
これは貧乏人のための歌、おまえらみたいな金持ちのガキじゃなくて
これは貧乏人のための歌、おまえらみたいな金持ちのガキじゃなくて
これは貧乏人のための歌、おまえらみたいな金持ちのガキじゃなくて

これはずっと戦ってきた人のための歌
学校をやめなきゃならなかったキッズのため
ずっと戦ってきた人のため
学校をやめなきゃならなかったキッズのため
("THIS IS FOR THE POOR")





大人なら託せ!
と言ったのは遠藤浩輝(漫画家)であるが、俺も今焼酎とアザーズに人生の悲哀を託しています。今の仕事、やりがいあるけど、夢に生きたいという希望は捨てきれない。
だから妥協案として休日クライマー&平日パンクリスナーでなんとかバランスをとってます。みんな、形は違うだろうけど、こんな感じでなんとか踏ん張っているんだろーなー。
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by g2005 | 2005-05-19 01:52

「ルポ 戦争協力拒否」

3月に書いた文章ですが…

ライブを観に大阪へ。今フェリーの中。志布志行きバス待ちの間に鹿児島中央駅の紀ノ国屋で買った岩波新書の「ルポ戦争協力拒否」を読んでいる。なかなか興味深い本だ。全体のイントロダクションである第1章の文が各章のテーマに沿ったルポ(「自衛隊員は命令を拒否できるか」「有事体制を拒否する人々」など)の冒頭で引用されるのだが、各章ごとに読む「分け読み派」には良いが、俺のような一気読み派にはウザい。まあとばせばいいんだけど。そういったマイナスポイントはあるが、よく書けている良い本だ。

特に第二章「自衛隊員は命令を拒否できるか」では、自衛隊員を「軍服を着た市民」として捉えようとする姿勢は(俺にとっては)新しく好感が持てる。9.11後、テロ特措法でアラビア海に派遣されドバイで停泊中に心筋梗塞た海自隊員は、亡くなる前の1ヶ月間に143時間の残業をしていたなど、驚くべき事実も載っている。仮に週5日勤務として25で割ると1日5時間超の残業だ(正規勤務が8時間とすると13時間労働!?)。昨日まで10時間労働していた俺から見ても、酷すぎる。料亭で高い料理つまみながら天下国家を語る政治家ども、とくにイラク派遣で偉そうに訓辞を垂れていた阿部あたりに是非とも機関室で13時間労働を体験させてやりたいものだ(俺はガテン系バイト従事者の立場からボンボン2世議員が嫌いだが、阿部は特に人間として嫌い)。同章では自衛隊の閉鎖体質が問題視されているが、まさに正鵠であろう。

3章「有事体制を拒否する人々」では、有事7法を「他の法と並列の法」として捉え、港湾関係者らの労基法を等を根拠とした拒否、各自治労の地方自治法等を根拠とした有事法協力拒否宣言をとりあげている。いずれも法律論としてマトモだし、運動としても一昔前の「左側の全体主義」のような「大所高所」に立った物言いではなく、いち労働者としての異議申し立てであり親しみが持てる。章末に著者が主張をストレートに書いているが、確かに「戦争をしないことこそが真の『国民保護』なのである」。こう言うとアホが「一国平和主義だ」と「自虐的」になるが(笑)、じゃあアメリカの一国利益主義(イラク、アフガン、ニカラグア、京都議定書)はどうなるんだよ(笑)。(NPO・NGO等を通じた国際支援や、日本の多国籍企業による「公害の輸出」や現地搾取に対する規制さえしていれば十分だと俺は思う。銃を使うより効果的だ。ただ、そのためには任意のNPOへ所得税の一部を払う制度の確立が急務だが)

4章では「自由に物を言えない社会に抗して」として、市民運動に対する公安の弾圧を報告している。こうした弾圧は新聞などにあまり載らず、テキストベースとなるのは珍しい(むしろ市民運動系の真面目なブログなどの方が詳しい)。それだけ「自主規制」が進んでいるということだろう。ビラを配っただけで捕まったケースなどが紹介されている。右翼街宣車が道交法違反(円滑な交通の妨げ)で捕まったという話は聞かない。路上のキャッチセールスは相当ウザイが野放し。総選挙の際省庁が特定政治家を省庁ぐるみで応援しているのは公然の事実だけど、彼らが国家公務員法違反減給とかあんまり聞かないね。おかしくない?


国家なんぞ、「万人の、万人による闘争」を避けるために俺たち主権者が統治を委任しているに過ぎないし、だから国家益が国民益に優越するなんてことはあり得ない。こんなこと古典政治学の基礎だ(未だに憲法に義務規定とか言ってるバカもいる。小学生からやり直せ)。
マジな話、そろそろ政治家の目を企業から国民に向けさせないとヤバいよ。「国家益」(=大企業)ではなく「国民益」を考える政治家を国会に送らないと。

脱線した。話を戻そう。著者は繰り返し、「既成事実に負けるな」「世論が大事」と言っている。いくら港湾労働者や自治労が頑張っても、世論の支持がないと戦えない。だから、既成事実にまけて「しょうがないよね」とか諦めるなと言っている。これは大事だ。
例えば女性がレイプに遭ったとしよう。既にイチモツを半分つっこまれている状態で、被害女性は「仕方ないや」と諦めて全部つっこまれてしまうだろうか?俺は男なので分からないが、暴力の恐怖と戦い、力の限り抵抗するのではなかろうか。もちろん、実際に被害に遭った方に「抵抗すべきだった」「抵抗が足りなかった」などと言う気は全く無い。嫌なことは途中からでも「嫌だ」と言いたい、という心情の比喩だ。

いやなことにイヤと言う。そうした個人の意志が問われる時代だ。本書は、そうした精神のエッセンスと具体的な方法の基礎に関する教科書である。必読。
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by g2005 | 2005-05-18 03:41

ちょっと考えたこと

だいぶ前の文章ですが、掲載します。


昨日、寮の後輩の部屋で就職関係のハウツー本を読んだ。この手の本が本屋で山のように積まれているのはよく見かけるが、手にとってちゃんと読むのは初めてだ。読んでみると、「採用する側」の考え方、心理が事細かに書いてあってなかなか面白い。だがちょっと気になった。

昨日か一昨日か忘れたが、読売新聞に、大手企業ですら新入社員の三分の一が3年以内にやめていくという記事があった。人が会社を辞める理由には様々なものがあろう。しかし、企業側は「なるべく長く勤めて欲しい」(日経連の言う「長期蓄積型」)と思って採用しているはずなのに、この実体は、何を意味するのか。
先に述べたように、辞めるのには様々な理由があるが、三分の一という数となると、その背景を考えざるを得ない。俺は、背景の一つに、採用制度の不備を指摘したい。
もちろん、大学のモラトリアム的性格や、昨今の雇用情勢は大きく関与しているであろう。しかし、面接に重きを置いた採用制度に、俺は大きな疑問を感じている。

まず、こうしたハウツー本をちゃんと読めばパスできてしまう面接に意味があるのかということ。面接官は受験者の対応を通じて人間性や考え方を見たい筈であるが、このように「面接モード」で武装されては、普段着の受験者が分からないであろう(入社後も常に「面接モード」の如き仮面をかぶっていられるならそれもよかろうが、残念ながら普通の人間には不可能だ)。長時間・長期間仕事をしていれば必ず「地」が出る。見たいのはその地であろうが、賢い受験者はハウツー本でそれを隠す。ならば、面接など茶番ではないか。

次に、これは論理立てた主張ではなく、俺の感情的な考え方だが、「人が人を試す」という行為自体が傲慢ではないだろうか。
筆記テストは受験者の学力を客観的に測る。しかし、神ならぬ人が、受験者の人間性を客観的に測るなどということが可能なのだろうか?

人間について、もっと深く考えて欲しい。人間が人間を試す?何様だよ、お前は。
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by g2005 | 2005-05-18 03:39