勉強と本の読み方について

この記事は、親記事に書かれたコメント(名前はまだ無いさん)に対するTBです。
コメントにはコメントで書き込めばいいかもしれませんが、長文になってしまったので。コメントを掲示板化したくないというのもあります。



>名前はまだ無いさん

歴史に意味を求めるとするなら(そもそも歴史自体は無意味で。そこにどう意味を与えるかということが問題なのですが)、私は「同じ過ちを繰り返さない」という一点に尽きると思います。
そこで、「戦前との類似性が指摘されるなら、戦前どのように国民が動員されていったかをミニマムなレベルで明らかにする必要があると思われます」と言ったのですが、これに関して名前はまだないさんは、標語のもたらした効果について強調されています。
確かに、プロパガンダの世界では「ワンフレーズ」による「刷り込み」は常道ですし、先の衆院選を見ても(笑)その効果はあきらかでしょう。大きくは間違っていないはずです。
しかし、それを言うなら、標語の導入前と導入後の意識調査比較や、体験者の聞き取りなどを通じた実証的な研究が必要となるはずです。私の欲するモノはまさにそこです。蓋然性で歴史を決めることができるのならば歴史学者は必要ないと思われます。 




>本を読むのであれば、答え合わせのつもりで読むといいと思います。 本が間違っている場合も多いと思いますよ!

名前はまだ無いさんは「ともすれば自分の気に入る答えのみを拾い集めてしまう危険」を指摘されています。そのとおりですが、「答え合わせのつもりで読む」事は、「自分の気に入る答えのみを拾い集めて読む」と同じことだと私は思います。世の中の文筆家の中でもくだらない部類に入る人(なぜか「高名な」人が多いのは気のせいか?)は、自分の主張がまずあって、それを補強するために材料をあつめる、ということをよくやりますが、それは勉強ではないと私は思います。(では勉強とは何かと言われると答えに窮するのですが)「答え合わせ」も同じように感じました。
 とはいえ、名前はまだ無いさんの言われるように、自分で考えることは大事で、例えば県立図書館で新聞のマイクロフィルムを閲覧したりしましたが(2年くらい前ですが)、翼賛記事ばかりでどうにもなりません。鋭い歴史学者は、そうした記事の中から住民意識を掘り起こすのでしょうが、私は歴史学者ではないので、その力はありません(時間もないし)。だから本を探しているのです。高橋哲哉氏の「靖国問題」における、婦人公論(主婦の友だっけ?)の引用はその意味で参考になりましたが、あれだけでは「いかにして普通の母が靖国の母になったか」は分かっても、「いかにして地方の住民が挙国一致体勢に組み込まれていったか」の十分条件にはならないと思われました。
問題意識をとぎすます為には思考が重要ですが、実証的研究に関して他人の研究成果から学ぶことは、時間の節約という観点からしても重要と思います。

 最後に、理系も文系もやることは一緒です。例えば物理学で物理法則の探求を行うのに対し、歴史学では歴史法則を探求します。ただ、実験室で再現可能な物理と違い、歴史学では、過去の歴史的事象の中から法則を探し出すため、100%正しい法則を導き出すのは不可能です。せいぜい「こういう条件の時、○○となる可能性が高い」といった蓋然性の問題にとどまります。

 であるならば、理系の実験によるデータ収集は、ちょうど文系の史料(資料)収集(+史料批判)に対応しています。イメージとして文系は「つめこみ」というのがありますが、実験が行えない以上、やむを得ないと思われます。
[PR]
# by g2005 | 2005-11-13 03:48

国語力と「自ら学ぶ力」の低下に嘆く ~靖国訴訟に見る小泉首相とネットウヨの学力低下~

<首相靖国参拝>小泉首相「違憲ではない、理解に苦しむ」

 小泉純一郎首相は30日の衆院予算委員会で、首相の靖国神社参拝について違憲判断を示した同日の大阪高裁判決について「私の靖国参拝が憲法違反だとは思っていない。首相の職務として参拝しているのではない。それがどうして憲法違反なのか、理解に苦しむ」と述べ、反論した。松本剛明氏(民主)の質問に対する答弁。首相は同日夕、判決が自らの参拝に与える影響を記者団に問われ、「ま、ないですね、(判決自体は)勝訴でしょ」と述べ、否定した。
 答弁で首相は「私は戦没者に対する哀悼の誠をささげるということと、二度とあのような戦争を起こしてはならないという気持ちで参拝している。それが憲法違反であるというのはどういうことか」と判決を批判。年内の参拝の予定については「適切に判断する」との立場を改めて示した。【尾中香尚里】
(毎日新聞) - 10月1日1時29分更新


--------------------------------------------------------------------------



 多分日本語読めないんだろうなあ…トモダチのブッシュジュニアも英語分からないみたいだし(*1)。随分前に宮台真司氏が「驚くべきはその国語力の低さ、批判対象にもならない」と切り捨てていたが、まったくその通り。

 「政教分離」の意味すら分からない男が、この国の総理という異常事態。どういう気持ちで行こうが、彼が政治家でいるうちは違憲だ。なぜなら特定の宗教を助長するから。政治家の自由?政治家になった時点でそんなものは無い。辞めてから行け。

 更によく分からないのは、「死者を敬う」はずの参拝なのに、神式で参拝していないという事実。それこそ死者の冒涜だろう。敬う気持ちがあれば神社のルールはどうでも良いということか?なんで真性右翼は怒らないんだ?彼こそ死者を冒涜している。




 そして、判決文の意味も分からず「傍論」という言葉を連呼する人々。
確かに、「ジュリスト」「判例時報」など、ナマの判決文が載っている雑誌は大学生協くらいだし(都会だとそうでもないか?)見たことない人が多いだろう。

 通常、判決文は「主文」と、「事実及び理由」で構成される。
 主文はまさしく「原告の要求を却下する」とか、「被告は原告に対して金員100万を支払え」とか、裁判の結果として原告や被告が何をすれば良いのかという部分だ。
 これに加え、「事実及び理由」が書かれている。主文だけでは、なぜその主文のような結果になったのかがサッパリ分からないから、双方の請求、双方の主張する事実、それに対する裁判所の事実認定と、事実認定に基づいた請求への判断、すなわち「事実及び理由」が加えられる。今回「傍論」と言われているのはココである。法学の世界では主文だけ見て判断することは有り得ず、事実認定は妥当か、事実に対する裁判所の判断は妥当か、という風に見る。

 今度の「事実及び理由」(傍論)では、参拝が公務で、特定の宗教を助長するから政教分離に違反しているから違憲、というようなことを書いていたらしい(判決文原文がないので新聞記事から類推している)。
 勘違いしないで欲しいのは、「主文」に「被告小泉の行為は憲法違反である」とか、そうゆう書き方はしないと言うことだ。
 小泉首相の参拝に対して違憲性を求める訴訟には、「小泉の参拝により精神的損害を受けた」と言う以外のロジックは、法的には存在し得ない。ある政治家の行為や、ある法や行政処分の違憲性について直接問うという法理は日本の法体系にはないからだ。だから訴状で違憲性を問おうが何を書こうが、結局は裁判所は、「小泉の参拝により精神的損害を受けた」と言う部分について、具体的な事実に即して判断するしかない。(じゃあ「謝罪文」とか「謝罪広告」はどうなるんだと言うと、「原状回復」という考え方に則って、被害を回復しているに過ぎない。賠償金も、本来不可逆的な肉体的・精神的損害を金で回復させようとする試みに過ぎない)
 で、その「傍論」の中の具体的な事実認定の部分で、首相の参拝は公務であり、特定の宗教を助長するから違憲、しかし、このことが原告らの精神的損害になるわけではないから(因果関係の否定)損害賠償請求は却下、という判決のようだ。まあ今月1日付けの新聞に本文要旨が載っている筈だから明日職場で読んでみるけど、多分俺の予想通りだろう。


 判決文の構造がわからないと、「主文で勝ったんだから合憲」「いや違憲」という水掛け論になる。まずジュリストか判例時報買って勉強しよう。(大学にいた頃は、データベース使いたい放題で楽だったなあ…http://www.tkclex.ne.jp/index.html)



 例えば、朝日新聞(の引用を使っただけで袋だたきに会いそうであるが、あえて使う)http://www.asahi.com/national/update/0930/TKY200509300136.htmlを良く読めば、明確に首相の行為を「違憲」であると「事実認定」していることが分かるだろう。
 朝日だけだと信じてくれないだろうから(笑)サンケイからも。
http://www.sankei.co.jp/news/050930/sha037.htm
 事実認定で「違憲」と認められたということは、つまり「違憲」なのだ。この意味がお分かりでない人々があふれているようだが、まあネットでは判決文というものがあまり見れないから仕方がない。最高裁HPに下級裁判所も含め少しだけ出ているので(最高裁は事実の判断ではなく法律審なので、最高裁判決だけ見ても大概は意味不明)、読んでみると良いだろう。
 結局、今回の判決は、「違憲であるが、原告らへの利侵害は起きていないので却下」ということなのだ。最高裁のいわゆる「少数意見」とは違う。
 サンケイでは『法に詳しい別の政府筋は「違憲判断は裁判官のつぶやきみたいなもので、極めて恣意(しい)的だ」』などと社説で言っているが、(http://www.sankei.co.jp/news/051004/morning/04pol001.htm)
この「政府筋」は本当に「法に詳しい」のか?最高裁の少数意見と勘違いしたことを祈ろう。あるいはサンケイ記者の脳内政府筋でないことを。


ただ、「上告できない」という政府筋の言い分はある程度理解できる。
何しろ、問題は何一つ解決していない。
最高裁で白黒つけるのはアリだったろう。ただそれは、裁判を支援した者や参加した者
だけが言えるセリフである。外野に言う資格はない。その程度の常識は持っておきたい。


 それにしても、このままでは(国語力の無さか、確信犯なのか知らないが)「傍論だから」と行政府の長が司法判断を無視(本当は傍論も何も判決文中の事実認定)→司法の権威低下、三権分立崩壊になりゃあせんかと心配である。
 
 結局のところ、ある具体的な行政行為や政治家の行為について、直接に違憲性の判断を迫るような訴訟を起こせる法理を持たないと、こうした訴訟は当分終わらないように思える。もっとも、そうした法理を持ったところで何か変わるかはわからない。結局、裁判で原告勝訴しても、世論の後押しがなければ動かないだろうから。最高裁で司法判断が下ったにもかかわらず、「司法と行政は別」と居直る水俣病問題における国のように。


*コメント禁止にします。何かあったらTBで。

----------------------------------------------------------------------------
*1ロッキング・オン名物「渋松対談」で、渋谷氏か松村氏か忘れたが、ブッシュが自陣営のテーマにスプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・USA」を採用したことに対して「ブッシュって英語わかんないのかな?」と言っていた。ボーン…はブッシュのよう「愛国」ではなく、そんな「愛国」を批判した歌である。
[PR]
# by g2005 | 2005-10-12 03:56 | 主張

封建主義国家・日本

鹿児島の労働市場は酷い。
別に鹿児島の労働市場全体を知っているわけではない。だが一応、私も南九州を代表する大手企業(仮にA社としておこう)に勤める人間である。その私の勤める企業をしてサービス残業あたりまえ、二言目には業績あげろなのだから、他も知れたようなものだ。というか、他よりまともだからここまででかくなれたはずだ。

私の先輩で、同じくサービス残業にあえぐNさんは、何よりも土曜に行われる会議が不満らしい。何一つ具体的なプランを出せず、いたずらに時間を浪費する幹部。幹部の前で思い切った発言ができないヒラ社員連。「そんなことやってる時間があったら、営業の1つでもかけるなり、おとなしく休みを取って翌日からの仕事へ向けて英気を養ってはどうか」と思うが、言えないらしい。

サービス残業の酷さは似たようなものだが、俺の場合は営業所勤務で社長や幹部のツラを見ないで済むだけマシか(笑)。ウチの場合、創業者が社長、奥さんが副社長、長男が内部監査の典型的同族経営。社長・副社長はまさしく「殿」である。全ての会議は、上からの方針を確認するためにある。現場に発言権などない。そして、その方針とはすなわち「業績を上げろ」。業績が下がっていることは確かだが、批判の対象は現場社員だけなのだろうか。
 社長一族は「賃貸業」を営む有限会社を経営している。同社は、A社に不動産を貸し、「不動産賃貸料」として1億6千万を受け取っている。鹿児島の一番高い所は、天文館の東千石町で一平方メートル当たり77万、他の市街中心地の上位地点は45~28万後である。
http://www.pref.kagoshima.jp/home/kikakuka/kira/h17tikatyousa.pdf
仮に、A社の一番デカイ建物を賃貸しているとする。あの建物は手持ちのソフトで確認すると、敷地面積24×26=624平方メートル。件の建物は市街地ど真ん中から少し外れているから1平方メートル30万として、土地自体の売買価格が1億8千7百万である。建物は6階建てであるが、いくらなんでも年1億6千万(月1333万)も賃貸料が発生するだろうか?(*1)
また、社長一族の営む有限会社はA社の株式の約50%を保有し、従って配当金の半額を得ているはずだから、前年は配当金だけで6千4百万円を得ていることになる。
どこへ行っても同じ事だが、「サービス残業」が横行している。A社もしかり。俺も平均で月25時間くらい残業している。
にもかかわらず、一体、どうなっているのか。社長一族は何もしないで2億4千万を得ているというのに(さらに役員報酬や役員退職金がこれまたすごいうようだが、財務諸表とかの見方はよくわからないのでパス)、俺は月17万で手取りが15万5千。
文字通り身を粉にして働いているのに、本社(社長一族の城とも言う)からは「業績を上げろ」の一点張り。社長一族を切れば、代わりに俺のような契約社員を単純計算で100人くらい、事務管理とか考えても60人くらい雇えるのだが、その最大の無駄は指摘されない。人員が増えれば、ギリギリのところで回している現場は楽になり、労働効率が上がり、従って顧客の満足度も上がり、収益回復するはずなのに。

なぜこんなことが許されるのか?
これが竹中平蔵の言う、「能力がありかつ努力を重ねて高所得を得ている人々を讃(ほめたた)える税制」か?
確かに創業者は偉大だ。それは認めよう。多少の高所得はよかろう。だが、このような、労働に依らないやり方で金を得て、俺やその他の従業員に「代わりはいくらでもいる」と人間の尊厳を奪うような発言する権利があるのか?

狂っている。

そして、こんなやり方は、おそらく南九州では普通なのだ。いや、日本全国そうなのかも知れない。世界のトヨタですら同族経営である(*2)。

日本は、依然として封建主義国家である。



---------------------------------------------------------------------------------------------
*1ネットで検索して近隣の物件を検索したところ、より天文館に近い角地が、築10年、六階建ての4~6階が月51万であった。広さは146.46平方メートル。この条件を件の社長物件にあてはめると、月1366万となり、社長物件の方が安いということがわかるが、ネットで検索した不動産物件は管理料込みで、立地条件も社長物件より良いので、もっと圧倒的な差が出てもおかしくない(社長が建物の管理をしているハナシなど聞いたことがない)。年1億2千万くらいが妥当であろう。
*2トヨタの場合、その豊田家にまともな人間が多かったのか、それとも技術畑出身の現場を知る人間が多かったためか、成功を収めているが。まさに、良い意味でも悪い意味でも「名君」である。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF
http://www.orihime.ne.jp/~toyo-fre/jiten.html

最も、歴史を見れば分かるように、名君より暴君やアホ君主の方が圧倒的に多く、トヨタが成功しているから同族経営も悪くない式の理論には、「木を見て森を見ない批判である」と答えたい。

「体制権力は腐敗する。絶対的権力は絶対的に腐敗する」 アクトン
[PR]
# by g2005 | 2005-10-04 03:10 | 主張

「ホワイトバンド」批判 ~叩かれるだろうなあと心配しつつ~

 俺は、こことは別にHPを持っている。そのバナー広告に今、「ホワイトバンド」が出る。まあ、何のことかわからない人もいるかも知れないので、一応引用しておく(http://www.hottokenai.jp/index.html)

-------------------------------------
3秒に1人、子どもが貧困から死んでいます。食べ物がない、水が汚い、そんなことで。この状況を変えるには、お金ではなく、あなたの声が必要です。貧困をなくそう、という声を表すホワイトバンドを身につけてください。
(中略)

世界の貧困をなくすために、日本にできることは、
援助をふやす、援助をよくする、
最貧国の高すぎる返済金利を少なくする、
そして貿易をフェアにする、この4つです。

(中略)
そもそもなぜホワイトバンドを売っているのですか?

ホワイトバンドは、これを身につけて「貧困をなくそう!」とい う思いを表すシンボルです。「白いバンド」であればよいので、 いろんなものがあ り得ます。このウエブサイトでは日本版のオ フィシャルホワイトバンドの販売について紹介していますが、 「白」であれば、多種多様なバンドがあって構わないと考えてい ます。たとえば白い紐や包帯であってもいいのです。 ただし「ホワイトバンド」として売られているものの中には、営 利目的のモノであったり、フェアな貿易を無視して生産された品 があるかもしれません。購入する際には、売上の使途には注意を 払い、納得のできるものかどうか、ご確認のうえご購入くださ い。

ホワイトバンドの300円は募金ではないのですか?

ホワイトバンドの300円は、いわゆる募金運動ではありません。 「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーンは、善意によってなされる寄付や募金の意義や価値を十分認めつつ、それだけでは世界の貧困はなくならないという認識から出発しています。世界の貧困には、それを生み出す世界の構造の問題があり、それを 変えることなくしては、いくら善意の寄付を積み上げても、貧困 を生み出す速度には追いつけないのです。それゆえに、「ほっとけない」と連動している世界各国のキャンペーンでは、「チャリティーではなくジャスティス(正義)を」、「あなたのお金でなく声をください」というスローガンを掲げています。貧困の詳しい構造については、こちら(特に「このキャンペーンはチャリティですか?以降)http://www.hottokenai.jp/faq/をご覧ください。

ホワイトバンドの売り上げはなにに使われるのですか?

こちらの円グラフhttp://www.hottokenai.jp/white/300yen.pdfをご覧ください。 ホワイトバンドの売上の3割は、世界の貧困をなくすための活動費に使われます。この、「世界の貧困をなくすための活動」は、現地での支援活動ではなく、途上国から先進国に富が流れてしまうような構造や、貧困からの脱却のために努力する人々やNGOの活動 を台無しにしてしまうような政治や経済の仕組みを変えるための 活動です。そのためには、ホワイトバンドをつけた人の声を集め、政治や政策をつくる人達への影響力をもっていくことが必要です。
ただし、ホワイトバンドをNGOから購入した場合は、NGOの活動支援になります。詳しくはこちらhttp://hottokenai.jp/ngonews/archives/001_campaign_news/000590.html#more
------------------------------------
 確かに、世界の貧困の問題は「放っておけない」。貧困+憎悪=テロだ。先進諸国も我が身が可愛ければ貧困を何とかした方がよかろう。かつての「金を送ればそれでいい」的なチャリティーからは一歩前進である。「世界の貧困をなくすために、日本にできることは、援助をふやす、援助をよくする、最貧国の高すぎる返済金利を少なくする、そして貿易をフェアにする」の4つらしい。確かにどれも良いことである。実行すれば間違いなく今よりは貧困の問題が解決に近づくだろう。
 しかし、である。「正義」という言い方に俺はカチンと来る。正義の名の下に爆撃したりとか…。まあ俺の戯言は置いておいて、少ない脳味噌を動員して考察してみた。なぜこんなに生理的に受け付けないのかと。


 そもそもなぜ貧困があるのか?
 貧困はアフリカ、アジア、中南米において顕著であるが、中南米の場合は米国政府に支援された軍事独裁政権+多国籍企業 による搾取が原因である。アジアの場合は色々原因があるが、いずれも旧植民地時代の分割統治や、大国の地政学的見地からの干渉が大きなウェイトを占める。アフリカの場合、植民地時代の分割統治+欧米の多国籍企業が原因の大部分を占めるのではないだろうか。アフリカの場合、今さら国境線の変更や民族融和など難しいので根は深いが、中南米の場合はアメリカが手を引けば問題の大部分は解決しそうだ。
 
 さて、こういった貧困の原因を考えるにつけ、ホワイトバンドは政治的なアクセスが可能であろうか?
 先日、U2を初めとしたミュージシャンが「ライブ8」なるものを行った。G8のお膝元でライブを行い、ミュージシャンの持つ動員力とミュージシャンの意見に賛同する市民の声を政治家に見せつけたうえで、途上国の債務帳消しと支援という要求を求めるというものである。
 結果として、途上国の債務の一部だか全部だか知らないが帳消しになったらしい。ロキオンの山崎洋一郎は、債務帳消しなど茶番である、どーせその金で先進国から小銃と地雷を買うから、と批判していた。むしろ、政治家の人気取りに利用されただけだ、と。俺もその通りだと思う。そして、このホワイトバンドも、利用されて終わる気がする。なぜか。
 見ると、件のサイトでは「小泉首相、『国連2005ワールドサミット』にぜひ出席してください!そして『日本は世界の貧困問題に責任を果たす』と明言してください!!」などと言っている。http://hottokenai.jp/ngo/koizumi.html
なんだか、もし小泉やブッシュがホワイトバンドしたら、それだけで問題が解決しそうな雰囲気である。
 この人たちは本当に小泉さんの政策を見ているのだろうか。今、自民党政権は国民に対して大規模な「攻撃」を加えている。
 例えば「郵政民営化」。民間の保険屋に巨額の資金が流入する仕組みを作ろうとしている。一方、保険屋の方は学者と手を組んで、遺伝子情報などから、少しでも「リスク」を持った人間からはぼったくるか最初から加入させない。弱者をさらに叩く構造というわけだ。
 例えば労働政策。「ワークシェアリング」「労働の弾力化」の名の下にリストラ&バイト奴隷労働を推奨する財界の言いなり。労働者の一人として、労働基準監督署の機能強化と、労基法違反企業への罰則強化や、内部告発者への法的保護など、色々実現して欲しいことはあるが、そっちは全くやらない。「民に出来ることは民で」らしい。かくて、労働者は社長に搾取される、と。バイトは生活が安定せず少子化は進むばかり。
 ちなみに、本来のワークシェアリングとは、残業を無くして、(場合によっては基本給も少し下げるらしい)その分浮いた余剰を新規に雇った労働者の賃金に充てる、というものだ。まさに「労働の分かち合い」。社員は、手取りは減るが仕事量も減ったので満足。失業者は新しい仕事に就けて満足。一方、企業も、ワークシェアリングをやると税制上優遇されるのでお得。これがヨーロッパのワークシェアリングだ。日本では、仕事が回るギリギリまで人員を削減し、残業させ、忙しくなると派遣やバイトを雇う。なぜこうなるかというと、残業手当が安いから。安いので、残業させた方が、新規に人を雇うより、社会保険料その他の負担がないのでお得なのだ。日本の平均残量手当は1.25倍。ヨーロッパは1.5倍。お分かり?しかもここに、「サービス残業」が入ると…
 話が逸れた。こういった「国民への攻撃」を行う小泉政権が、人を救うだろうか?大企業は救うかも知れない(笑)し、政権の延命のためにたまに良いこともする(熊本地裁のハンセン病訴訟における「控訴断念」のように。同時期の大阪高裁における水俣病関西訴訟は「即時上告」だったが)が、まあ期待するだけ無駄だろう。なぜ総選挙前という最も市民団体の政治アクセス力が強まるこの時期に、「ぜひ出席してください」なのか?むしろ、「出席し、貧困に取り組むと明言したら、投票してやる」くらいのことは言えないのか。あるいは「行かなきゃ民主党に入れる」といったネゴシエートも可能なのに、なぜしないのか。

 市民の力を結集して、新しいムーブメントを起こすというのには賛成できる。

Those of us who love peace must organize as effectively as the war hawks.
As they spread the propaganda of war,we must spread the propaganda of peace.
(Martin Luther King Jr.)

 また、「限られた資源へのアクセス」こそが政治の本質だとするならば、特に選挙前の今、市民の結集は大きなアクセス力を持つ。こういったタフなネゴシエートを可能とする市民運動が多数起これば、政治も変わらざるを得ないだろう。「土建」「財界」「農協」「医師会」といった圧力団体の列に、「貧困解決を目指す市民団体」というのが連なったらなかなか楽しそうだ。
 にもかかわらず、この運動がえらく俺にとってひ弱に見えるのは、「お願い民主主義」的な部分がある、というのもあるが、根本的には「正義」を振りかざしているからだろう。「正義」を振りかざして人間を動員していくのはむしろあっち側の十八番だ(N・チョムスキーの著作参照)。簡単に利用されるだろう。ライブ8のように。
 また、基本的に「ホワイトバンドを買って身につける」=消費という形態で、意思表示を行うという形式が生理的に嫌いである。
 加えて言うならリスクのなさ。ほぼノーリスクである。世界を変えた人間達は、もっと大きなリスクをくぐって世界を変えてきた。
先に述べたキング牧師も然り。
 それに、「公正貿易」は口で言うほど簡単ではない。とりあえずコーヒー、カカオ、バナナといったプランテーション作物はもの凄く高くなる。そういった典型的な「不公正貿易」だけでなく、多国籍企業による現地搾取まで視野に入れるなら、ユニクロ、ジャスコ、マクドナルド、スタバetcetcといった都会人お気に入りのチェーン店は軒並み「不公正」である。都会人は耐えられるのか?そういう意味で、「公正貿易」にはリスクがあろう。「不公正貿易」をしている企業をなるべく利用せず、公正貿易をなるべく利用する。それは、リスクというにはあまりにもしょぼいが。



「結局は、自分たちの『豊かな消費生活』の方が重要ですから」
(遠藤浩輝「EDEN」(講談社)より)




 とりあえず、バンドを買う金があったらアマルティア=センの著物を読んだ方が良いのではないだろうか。一万人がバンドを買うより、100人がセンの著作物を読んだ方が世界を動かすと思う。
 バンドは人を変えない。買ったことによって「俺は変わった」と勘違いする人間はいるが。
 人間の意志が現実世界に具現するとき、本や音楽、言葉、詩など、様々な形を取るが、それらは、心に入り込み、人間を変える可能性を持つ。そして、世界を変えるのは人間なのだ。
 バンドを買って誇示することによって「俺は変わった」と思う程度の人間、その程度の意志、そんなものが他人を変えうるだろうか。世界を変えうるだろうか。カルティエやグッチで身を固めて「私ってすごい」と思っているのとどこが違うのか。ホワイトバンドした人間1万人ぐらいでデモ行進したら相当すごいが、運動のベクトルとしてそれはなさそうだ。

 あるいは俺が心配している以上に単純人間が多くて、例えば全人口の95%が購入したりしたら変わるかも知れないが(まあ、それも利用されて終わるだろう)
[PR]
# by g2005 | 2005-09-08 02:13 | 主張

ジャスコ化への対応~「フリーターが語る渡り奉公人事情」トラックバック1~

「ジャスコ化」などという大仰な名前を付けなくとも、みんな既にうすうす気付いているのではなかろうか。大手資本が入ってくると余計に不便になると言うことを。
確かに便利は便利だけどね。それは見せかけなんだよね。

俺の住む南九州・薩摩半島にある加世田市では一向にジャスコ化は進んでいない。ありがたいことだ。過疎地域なので採算がとれないだろう。おかげでまさにスローライフだ。今も地元で取れたタコをキムチにして焼酎を飲んでいる(時節柄、塩を大目にし過ぎてしまったが…)。
俺は普段、夜11時まで働いている同僚は「店が閉まって買い物ができない」と嘆くが、そのぶん出勤が昼なので、ちょっと早起きして買い物すれば済むことだ。


ちょっと足を伸ばせば、築地で万の札のつく最高の野菜や魚が待っている。
大浦町の産直館はちゃんと冷房が効いているので、夏場も保存が良くお奨めだ。片浦の木場商店はカンパチの小さい奴(地元ではヒラコという)が一匹100~200円。そのかわり、片浦の人はみんな魚を自分でさばくのがあたりまえなのか、刺身では売っておらず、自分でおろさざるを得ない。まあ最初の千円は勉強って事で。
鹿児島市内では一匹500円になる。東京の連中は、ここより不味い魚を喜んで5倍くらいの金出して食っているんだろう。したり顔で「やっぱ鹿児島産はちがうね」とかいいながら。
ばかみてー。

 石牟礼道子氏の「苦海浄土」に、確かこんな記述があった。水俣病に冒された漁師さんの、公害病に蝕まれる前の、彼の口癖。口語訳すると(「苦海浄土」はほとんどが熊本の方言)こんな感じだったと思う。

「自分で取った魚をおろして焼酎を飲む。これがこの世の栄華よ。殿様でも俺の刺身より旨い刺身は食えん。こんな栄華が他にあるか」

今、俺もこの爺様の気持ちだ。

スーパーよりも八百屋の方がたいていの場合安い。農家直営の無人販売所など(たいていは、作業後のおばあちゃんがたうろしているが)、「ダンピングで訴えられるんじゃねーか!?」ってほど安い。
魚や肉はスケールメリットでスーパーの方が安い場合もあるが、魚屋の親父は旬の魚の食い方、魚の見分け方など色々なことを教えてくれる。
本当に「合理的」になったら、大手スーパーよりも地元小売店の方がお得である。少なくとも南薩では。
[PR]
# by g2005 | 2005-09-05 01:11

「異常」として排除するか、それとも深く考えてみるか

以下引用
----------------------------------------------------------------------------------------------
社会ニュース - 8月29日(月)14時37分 駐在所襲撃、ホラーゲームがヒント?中3同級生が語る
 宮城県警佐沼署の駐在所警察官刺傷事件で、強盗殺人未遂容疑で送検された同県石巻市の中学3年男子生徒(14)の同級生が同署に対し「事件での凶器の扱い方が、生徒が遊んでいたホラーゲームとよく似ている」などと話していることが29日分かった。
 生徒の部屋からホラーゲームなどのゲームソフト類も押収されており、同署は生徒がゲームの影響を受けて事件を起こした可能性があるとみて調べている。
 同級生が同署に話したところによると、生徒が凶器の包丁の柄に粘着テープを巻いていたのは、ホラーゲームのキャラクターが使っていた凶器を参考にしたとみられるという。このキャラクターは、2本の刃物を両手で操って敵を倒すという設定で、2本の包丁を使った今回の事件の襲撃方法と似ている。  生徒は中学2年のころには、人気アニメの登場人物が回転式の拳銃を撃って活躍するシーンを見て、「アメリカに行って本物が欲しい」と漏らしていたという。  また、生徒は調べに対し「拳銃を奪って自殺しようとした」と供述しており、将来のことで悩んでいたことなどから、同署は生徒が拳銃自殺しようとしたのが動機だったとみている。(読売新聞) - 8月29日14時37分更新
----------------------------------------------------------------------------------------------
以上引用


少年犯罪→ゲーム・アニメのせい。めでたしめたし。このニュースを聴いた瞬間にこういった報道がなされると確信していました。このニュースをよく読んでみると、なんで中学生が自殺を、それもよりにもよって拳銃自殺をしたいと思ったのか、部分は謎のまま、「とりあえずゲームのせい」としている。また、このくらいの年の子が銃器など派手な物に目を引かれるのは当然で、男なら一度くらいは「ホンモノをぶっ放してえー」と思うだろう。 なぜこんなことが「原因」になるのか?



以下引用
----------------------------------------------------------------------------------------------
社会ニュース - 8月29日(月)4時28分 駐在所襲撃の中3、100円ショップで包丁購入  

 宮城県登米(とめ)市の駐在所警官刺傷事件で、強盗殺人未遂容疑で送検された同県石巻市の中学3年の男子生徒(14)は、凶器の肉切り包丁2本を、1年以上前に100円ショップで購入していたことが28日、わかった。
男子生徒は「武器全般に興味があった」という趣旨の供述をしており、佐沼署は、モデルガンだけでなく、刃物にも関心を寄せていたとみて、購入の動機や事件との関連を調べている。
調べでは、男子生徒は、自宅から約15キロ離れた登米郡(当時)内の100円ショップに家族と一緒に買い物に出かけた際、刃渡り約20センチの肉切り包丁を購入。「家族に『何に使うのか』と聞かれたが、適当に言い訳をした」などと話しているという。同署の調べに対しても、「目に付いたから」などと供述するだけで、購入の理由をはっきり説明しないという。(読売新聞) - 8月29日4時28分更新
----------------------------------------------------------------------------------------------以上引用


 ↑刃物マニアなら100円ショップの包丁なんか使わなかっただろうし、そうしたら警官はやばかったかもしれない。何としてでも、犯人は「銃器・刃物オタク」で「ゲームマニア」で「異常」としておきたいのだろう。そうすれば「あいつが異常だっただけで、我々の社会は正常なのだ」と安心できるから。

 銃器マニアや刃物マニアというのは相当数いる。なにせ毎月ミリタリー雑誌が田舎の書店に並ぶほどだ。にもかかわらず、このような行動を取るのはごく一部でしかない。アニメオタクもゲームオタクも同じ。相当数いるが、犯罪を犯すのはごく一部でしかない。サラリーマンが殺人を犯したからと言って、「サラリーマン=悪」となるだろうか。むしろ割合で言ったら、政治家の汚職とかの方が圧倒的に高いだろう。その意味で「政治家=悪」は正しいのかも。

 話が逸れた。「なぜ、大多数のマニアは犯罪を犯さず社会と共生できるのか。なぜ少年は共生できなかったのか」という疑問に、真っ向から答えることが、知的営為というものではなかろうか?

 アホ親、アホ地域、アホ教師、アホ文部行政、展望のない社会=アホ政治家により、子どもたちは絶望的なポジションにいる。本質的には、そういった背景を考えなければならないのではないか?もしも未来があれば、少年に夢があれば、愛があれば、こんなことをしなかったのではないか?

 多くのミリタリーマニアが一線を越えないのは、俺が思うに、彼らには「夢」や「愛」といった、希望につながるモノがあるのではなかろうか。

 ちなみに、ロキオンで読んだ面白いネタがある。APCというバンドのフロントマンであるメイナードという男のインタビューにのっていた事だ。彼はアメリカの大統領選中にイマジンを初めとする反戦歌のカヴァーアルバムを出した。そのヴィデオクリップがあまりにえげつなさ過ぎて放送禁止になったのだ。しかし、インタビューで彼が言うには、クリップに使った全ての素材は、普段ニュースで流れている映像を使ったのだという。普段テレビに出ている映像をちょこっと編集したら、放送禁止になるくらいの残虐映像になったとさ。

 確かに、一部のゲームやアニメは一部の人間に対して良くない影響を、つまり反(脱)社会的な影響を及ぼしかねない。しかし、それを言うなら、ニュースの映像も、広く浅く貢献しているのであろう。なぜ問題にならないのか?簡単だ。メディアは、多少の「異常人間」を製造してしまうかも知れないが、それよりも、本当は狂っているこの世界を正しいと言いたいのだ。3秒に一人の割合で餓死する子どもが、戦車に石を投げる子どもがいるこの世界を。そうした現実を支えている日本という国を。そういうことは隠しておいて、とりあえず現状肯定させたいのだ。そうしておいて、たまに出てきた「異常者」の脅威を煽ることにより、さらなる現状肯定を勝ち取るのだ。

 だが、分別のある人間なら、こんな世界を変えたいと思うのではないか?

 俺には、一日約2万の危険手当を、国際貢献の名の下に、現地民にあまり感謝されていないイラク・サマワの自衛隊員に払うことの意味が理解できない。もっとマシな使い道ないのか?
 俺には理解できない。世界中に出かけていって、爆撃したり拷問したり虐殺したりする国を「支持する」ことの意味が。そうした国を「支持する」政権を選挙でえらんでしまう人が。
[PR]
# by g2005 | 2005-08-29 21:47

ブルース=スプリングスティーンの新譜から考えたこと

俺が映画や本を読んで泣くということはほとんど無い。普段から、人に感動させられるのではなく、自分の成し遂げた事に感動したいと思っているし、流行の「癒し系」とか「泣ける映画」など、所詮感情を売り物にした心の安楽死装置である。

しかし、あろうことかファミレスの中で、ロッキング・オン8月号を読んで泣いてしまった。
それは、渋谷陽一氏の「正義が人を殺す時代を終わらせるために -アンチ・ブッシュ・キャンペーンによってスプリングスティーンが獲得した真のリアルとは何か」というテキストによってである。

ブルース=スプリングスティーン、ちょっと洋楽に詳しい人なら必ず知っているアメリカのロック・ミュージシャンである。フォークからロックまで歌い、曲の内容としてはシリアスな曲からラブソングまで幅広く、基本的に一人でやる彼は、日本で例えたら長渕といったところだろうか。長渕を知的にしたらスプリングスティーンになるかも知れない(笑)。

そのスプリングスティーンの新譜「デビルズ・アンド・ダスト」について、渋谷氏は歌詞を直接引用しながら、彼の持論である「ライブ・エイド批判」なども織り交ぜつつ紹介していく。ちなみに、アルバムは速攻で買ったが、ラジカセが壊れて聞けなくなってしまった(笑)。

 スプリングスティーンは他のミュージシャンと共に、ブッシュとケリーが伯仲している州にで反ブッシュキャンペーン「ボート・フォー・チェンジ・ツアー」を行った。それは、ありがちなプロテスト・ソングの発表を通じた批判などではなく、文字通り体を張った
決意表明だった。このツアーに参加したカントリー寄りのミュージシャンであるディクシー=チックスなどは、彼女のファンである保守層から反発を受け、CDをトラクターで潰されるなどされ、スプリングスティーン自身も不買運動を起こされた。このようなリスクを背負いながら、彼はボート・フォー・チェンジをやった。

 ご存じの通り、ブッシュは再選した。アメリカの若者は今もイラクに送り込まれている。腹黒い石油産業や狂信的なキリスト教右派のために、若者たちは闘うことを強いられている。



親父は俺には他人だった
家を出て町のホテルに住んでいた
小さい頃、親父は他人だった
時たま道ですれ違う他人と同じだった
時たま道ですれ違う

そして今ここで、脱いだシャツを着ている俺には
今自分の子どもがいる
俺がこの神に見捨てられた世界に望むことは
間違いが一代限りであって欲しいということ
罪が一代限りであってほしいということ
(ロング・タイム・カミング)



「間違いが一代限りであってほしい」という認識は、渋谷氏が指摘するように重い。
こうした歌詞を、「闘いに負けた」スプリングスティーンが、一人の父親として歌う気持ちがわかるだろうか?
あらゆる事実・価値が相対化されつつある世の中にあって、スプリングスティーンの真摯な思いは、凄まじいまでのリアリティで訴えかけてくる。「どうか、自分の世代の過ちや罪が、自分の子供らに災厄として降りかからないで欲しい。このような過ちは、自分の代で終わりにしたい。」俺には、このように読みとれて、その決意の重さと真摯な思いに、陳腐な言葉だが感動してしまったのだ。


アルバム・タイトルとなっているナンバー「デビルズ・アンド・ダスト」について、渋谷氏はこうコメントしている。

『ここで歌われているのは「戦争は常に正義の名の下に行われる。そして、その正義こそが人を殺すのだ」という重い認識だ。いわゆるシンプルな反戦プロテスト・ソングとは全く違うレベルに立ったナンバーである。人はそれこそ正義を与えられれば何でもするのである。愛と平和のために人を殺すことだってできるのだ。というか、多くの戦争は祖国への愛、家族や友人の平和の為という正義の為に行われてきたのである。逆に言えば、人は自分の正義を信じられなければ人を殺す事はなかなかできない。』

平凡な学者/論客は、例えばイラク戦争について論じる。大義はあるのか、日本はどうすべきか、どこまでやるべきか。しかし、スプリングスティーンはそうした浅はかな論議を完全に超越している。そして、超越しているだけでなく、ではどうすればよいのかという答えまで用意している。間違いや罪を、俺たちの代で終わらすこと。

 結局、戦争について、特定条件下ではアリだとか、大義がどうだとか、それらは全て、本来「絶対的」であるはずの生命や人間の尊厳を相対化していく論理である。そこで議論している連中に多くの場合悪意はない。しかし、極めて「倫理的」に条件付けられた筈の「限定的」な戦争が、いつの間にか「何でもアリ」になっていく。それはちょうど、生命倫理に関する「滑り坂理論」=ひとたび特定の傾向を許すと、その傾向が加速していく現象ににている。「正当防衛」すら「防衛戦争」という概念にすり替わって、侵略戦争の口実になっていく。状況を仮定するより、そうならないよう努力する必要があるのだ。


「状況を仮定する」というのは、マスコミの得意技である。テレビには不安や対立を煽るような番組があふれている。だが実際に、今一番危険なのはブログであろう。ブログランキングのトップは常に「反中」「反韓」である。

各県の県立図書館は、たいていマイクロフィルムが見れるようになっているはずだ。見てみるといい、日中戦争直前の新聞記事を。あるいは太平洋戦争直前の記事を。ちょうど今のブログと同じである。憎しみや偏見を煽る記事のオンパレード。日頃の鬱憤を外国人に向けていく俺たちの祖父の世代。不満を外に逸らせて笑いが止まらない財閥・政府高官。そうして日本は文字通り挙国一致で戦争へ突入していった。
実際には、そうした報道は一部の「事実」を拡大した物に過ぎなかったのだが、メディア・リテラシーのかけらもない当時の国民は見事に踊った。

俺たちは、2代も前の人間と同じ過ちを犯すのか?そこまでバカなのか?


俺は約10年前、ホームステイで韓国に行った。そこは、良い奴もいればアホもいる(そういえば、「日本人」という理由でケンカ売られたなあ…)、要するに同じ「人間」の住む国だった。


Imagine all the people  Living life in peace
(「イマジン」ジョン=レノン)

必要なのは、自分自身の想像力だ。マスコミや、ストレスのはけ口としてのブログではない。
スプリングスティーンの思いは、ともすれば抽象的な議論や、プロパガンダ的な記事の応酬といったよく見かける光景を超越し、我々人間の持つ感情のリアルに訴えている。
[PR]
# by g2005 | 2005-07-13 03:04

THE OTERSと仕事と人生

人には向き不向きがある。おれにはやっぱUKサウンド向いてないかも。それは、話題の(?)ジ・アザーズでもそうだった。ロキオン(最新号)の記事で感情移入しておいたにもかかわらず。でも「LACKEY」の歌詞はグッときた。


たいして払いも良くない職場でおべっかなんか使いたくない
あんたの話なんか聞きたくない、今日も
やつらにこの魂を売る気はない、今日も
おいらの人生、捨てる気はない
("LACKEY")


こう歌ったドミニクは、マーケットリサーチの会社で働いていたという。そして通っていたクラブで「昼はバンドやってる」と嘘こいていたら、いつの間にかライブをやることになり、急遽集めたメンツで演奏して、そのままのし上がってきた。「21世紀のワーキングクラス・ヒーロー」の異名通り、彼らのキッズとの連帯感は半端ではなく、ドミニクは携帯番号をネットで公開して、ファンがいつでも電話をかけれるようにしている。


しばらくどこかに抜け出して、新しい考え方してみたい
バンドを始めよう、心機一転てわけさ
きっと抜け出す手段はある、自由になること考えよう
たたの夢で終わらせちゃまずいからな
("LACKEY")


クソみてーな仕事からドミニクたちは脱出したわけだ。俺の仕事はかなりやりがいあるけど、やっぱ資本主義社会だから情を切り捨てなきゃイカン場面もあるわけで、そういうときはパンクや酒に託すことになるんだろうなー。まだそういう場面はないけど。

アザーズはラジカルなやり方で「あっち側」と戦っている。俺も俺なりに戦おう。アザーズは賛否両論を呼んだ「THIS IS FOR THE POOR」でこう歌っている。

これは故郷を離れた人のための歌
これは群集の中で孤立してるキッズのための歌
故郷を離れた人のための歌
群集の中で孤立してるキッズのための歌

これはがっかりしている人のための歌
その失望ひとつのため
がっかりしている人のため
その失望ひとつのため

これはひどい扱いを受けている人のための歌
毅然と立ち向かう人のための歌
ひどい扱いを受けている人のため
毅然と立ち向かう人のため

これは貧乏人のための歌、おまえらみたいな金持ちのガキじゃなくて
これは貧乏人のための歌、おまえらみたいな金持ちのガキじゃなくて
これは貧乏人のための歌、おまえらみたいな金持ちのガキじゃなくて
これは貧乏人のための歌、おまえらみたいな金持ちのガキじゃなくて

これはずっと戦ってきた人のための歌
学校をやめなきゃならなかったキッズのため
ずっと戦ってきた人のため
学校をやめなきゃならなかったキッズのため
("THIS IS FOR THE POOR")





大人なら託せ!
と言ったのは遠藤浩輝(漫画家)であるが、俺も今焼酎とアザーズに人生の悲哀を託しています。今の仕事、やりがいあるけど、夢に生きたいという希望は捨てきれない。
だから妥協案として休日クライマー&平日パンクリスナーでなんとかバランスをとってます。みんな、形は違うだろうけど、こんな感じでなんとか踏ん張っているんだろーなー。
[PR]
# by g2005 | 2005-05-19 01:52

「ルポ 戦争協力拒否」

3月に書いた文章ですが…

ライブを観に大阪へ。今フェリーの中。志布志行きバス待ちの間に鹿児島中央駅の紀ノ国屋で買った岩波新書の「ルポ戦争協力拒否」を読んでいる。なかなか興味深い本だ。全体のイントロダクションである第1章の文が各章のテーマに沿ったルポ(「自衛隊員は命令を拒否できるか」「有事体制を拒否する人々」など)の冒頭で引用されるのだが、各章ごとに読む「分け読み派」には良いが、俺のような一気読み派にはウザい。まあとばせばいいんだけど。そういったマイナスポイントはあるが、よく書けている良い本だ。

特に第二章「自衛隊員は命令を拒否できるか」では、自衛隊員を「軍服を着た市民」として捉えようとする姿勢は(俺にとっては)新しく好感が持てる。9.11後、テロ特措法でアラビア海に派遣されドバイで停泊中に心筋梗塞た海自隊員は、亡くなる前の1ヶ月間に143時間の残業をしていたなど、驚くべき事実も載っている。仮に週5日勤務として25で割ると1日5時間超の残業だ(正規勤務が8時間とすると13時間労働!?)。昨日まで10時間労働していた俺から見ても、酷すぎる。料亭で高い料理つまみながら天下国家を語る政治家ども、とくにイラク派遣で偉そうに訓辞を垂れていた阿部あたりに是非とも機関室で13時間労働を体験させてやりたいものだ(俺はガテン系バイト従事者の立場からボンボン2世議員が嫌いだが、阿部は特に人間として嫌い)。同章では自衛隊の閉鎖体質が問題視されているが、まさに正鵠であろう。

3章「有事体制を拒否する人々」では、有事7法を「他の法と並列の法」として捉え、港湾関係者らの労基法を等を根拠とした拒否、各自治労の地方自治法等を根拠とした有事法協力拒否宣言をとりあげている。いずれも法律論としてマトモだし、運動としても一昔前の「左側の全体主義」のような「大所高所」に立った物言いではなく、いち労働者としての異議申し立てであり親しみが持てる。章末に著者が主張をストレートに書いているが、確かに「戦争をしないことこそが真の『国民保護』なのである」。こう言うとアホが「一国平和主義だ」と「自虐的」になるが(笑)、じゃあアメリカの一国利益主義(イラク、アフガン、ニカラグア、京都議定書)はどうなるんだよ(笑)。(NPO・NGO等を通じた国際支援や、日本の多国籍企業による「公害の輸出」や現地搾取に対する規制さえしていれば十分だと俺は思う。銃を使うより効果的だ。ただ、そのためには任意のNPOへ所得税の一部を払う制度の確立が急務だが)

4章では「自由に物を言えない社会に抗して」として、市民運動に対する公安の弾圧を報告している。こうした弾圧は新聞などにあまり載らず、テキストベースとなるのは珍しい(むしろ市民運動系の真面目なブログなどの方が詳しい)。それだけ「自主規制」が進んでいるということだろう。ビラを配っただけで捕まったケースなどが紹介されている。右翼街宣車が道交法違反(円滑な交通の妨げ)で捕まったという話は聞かない。路上のキャッチセールスは相当ウザイが野放し。総選挙の際省庁が特定政治家を省庁ぐるみで応援しているのは公然の事実だけど、彼らが国家公務員法違反減給とかあんまり聞かないね。おかしくない?


国家なんぞ、「万人の、万人による闘争」を避けるために俺たち主権者が統治を委任しているに過ぎないし、だから国家益が国民益に優越するなんてことはあり得ない。こんなこと古典政治学の基礎だ(未だに憲法に義務規定とか言ってるバカもいる。小学生からやり直せ)。
マジな話、そろそろ政治家の目を企業から国民に向けさせないとヤバいよ。「国家益」(=大企業)ではなく「国民益」を考える政治家を国会に送らないと。

脱線した。話を戻そう。著者は繰り返し、「既成事実に負けるな」「世論が大事」と言っている。いくら港湾労働者や自治労が頑張っても、世論の支持がないと戦えない。だから、既成事実にまけて「しょうがないよね」とか諦めるなと言っている。これは大事だ。
例えば女性がレイプに遭ったとしよう。既にイチモツを半分つっこまれている状態で、被害女性は「仕方ないや」と諦めて全部つっこまれてしまうだろうか?俺は男なので分からないが、暴力の恐怖と戦い、力の限り抵抗するのではなかろうか。もちろん、実際に被害に遭った方に「抵抗すべきだった」「抵抗が足りなかった」などと言う気は全く無い。嫌なことは途中からでも「嫌だ」と言いたい、という心情の比喩だ。

いやなことにイヤと言う。そうした個人の意志が問われる時代だ。本書は、そうした精神のエッセンスと具体的な方法の基礎に関する教科書である。必読。
[PR]
# by g2005 | 2005-05-18 03:41

ちょっと考えたこと

だいぶ前の文章ですが、掲載します。


昨日、寮の後輩の部屋で就職関係のハウツー本を読んだ。この手の本が本屋で山のように積まれているのはよく見かけるが、手にとってちゃんと読むのは初めてだ。読んでみると、「採用する側」の考え方、心理が事細かに書いてあってなかなか面白い。だがちょっと気になった。

昨日か一昨日か忘れたが、読売新聞に、大手企業ですら新入社員の三分の一が3年以内にやめていくという記事があった。人が会社を辞める理由には様々なものがあろう。しかし、企業側は「なるべく長く勤めて欲しい」(日経連の言う「長期蓄積型」)と思って採用しているはずなのに、この実体は、何を意味するのか。
先に述べたように、辞めるのには様々な理由があるが、三分の一という数となると、その背景を考えざるを得ない。俺は、背景の一つに、採用制度の不備を指摘したい。
もちろん、大学のモラトリアム的性格や、昨今の雇用情勢は大きく関与しているであろう。しかし、面接に重きを置いた採用制度に、俺は大きな疑問を感じている。

まず、こうしたハウツー本をちゃんと読めばパスできてしまう面接に意味があるのかということ。面接官は受験者の対応を通じて人間性や考え方を見たい筈であるが、このように「面接モード」で武装されては、普段着の受験者が分からないであろう(入社後も常に「面接モード」の如き仮面をかぶっていられるならそれもよかろうが、残念ながら普通の人間には不可能だ)。長時間・長期間仕事をしていれば必ず「地」が出る。見たいのはその地であろうが、賢い受験者はハウツー本でそれを隠す。ならば、面接など茶番ではないか。

次に、これは論理立てた主張ではなく、俺の感情的な考え方だが、「人が人を試す」という行為自体が傲慢ではないだろうか。
筆記テストは受験者の学力を客観的に測る。しかし、神ならぬ人が、受験者の人間性を客観的に測るなどということが可能なのだろうか?

人間について、もっと深く考えて欲しい。人間が人間を試す?何様だよ、お前は。
[PR]
# by g2005 | 2005-05-18 03:39