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東京都青少年育成条例改正に断固反対する

☆☆☆☆☆☆以下ITmediaより引用☆☆☆☆☆☆
漫画・アニメの「非実在青少年」も対象に 東京都の青少年育成条例改正案


アニメ・漫画のキャラクターも「非実在青少年」として「不健全」性の基準に含める東京都の青少年育成条例改正案の審議が近づく。ネット上では反対の立場から行動が起きている。漫画の現場からは「日本の表現が窮屈になる」といった懸念が出ている。

2010年03月09日 21時57分 更新
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1003/09/news103.html


 東京都が都議会に提出した「東京都青少年の健全な育成に関する条例」(青少年育成条例)の改正案をめぐり、ネット上では内容を危惧する声が高まっている。アニメや漫画などに登場する18歳未満のキャラクターも「非実在青少年」と定義し、内容によって不健全図書指定も可能になっているなど、従来から踏み込んだ内容になっている。議会での審議は近づいており、ネットではアクションが広がっている。

「青少年を性の対象にすること」を否定する条例

各都道府県で制定された青少年育成条例はこれまで、「青少年の健全な人格形成に対して有害」だと判断した雑誌や書籍などを「有害図書」(都は「不健全図書」)指定し、包装状態での販売や販売コーナーの隔離などを義務付けてきた。

 都の改正案のポイントは、「青少年の健全な育成」に対する考え方の拡大だ。改正案では、18歳未満の青少年が性的対象として扱われている書籍や映画などを「青少年性的視覚描写物」と定義。その上で、「青少年性的視覚描写物をまん延させることにより青少年をみだりに性的対象として扱う風潮を助長すべきでないこと」を都の責務だと規定している。

 現行条例が「不健全」性を「性的感情の刺激」「残虐性の助長」「自殺や犯罪の誘発」という比較的あいまいな表現で規定しているのに対し、改正案はこれに「青少年をみだりに性的対象として扱う風潮の助長」、つまり「青少年性的視覚描写物」という特定のジャンルの表現そのものを「不健全」なものとして追加、制限の対象に加えている。「青少年を性の対象にする」表現の抑止が改正案の狙いの1つだ。

 この基本スタンスから、創作作品の表現も条例の対象に含めたのが大きな点だ。改正案は、漫画やアニメなどの登場人物のうち、服装や所持品、学年、背景、音声などから「18歳未満として表現されていると認識されるもの」を「非実在青少年」という新語で定義する。

 その上で「非実在青少年」による性交などを「みだりに性的対象として肯定的に描写」することで「青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの」も、不健全図書に指定できるようにした。従来の基準に該当しない漫画やアニメでも、「非実在青少年」による性行為などを描いている場合、不健全図書に指定される可能性がある。

 改正案が「非実在青少年」表現の不健全性の基準として、「青少年の性に関する健全な判断能力の形成」を阻害するものという、人格と価値判断に踏み込んだ基準を設けたのも特徴だ。

 「青少年性的視覚描写物」への制限と同様、児童ポルノについても、都は根絶のために環境整備に努める責務があると規定。「何人も、児童ポルノをみだりに所持しない責務を有する」として、児童ポルノ法の改正をめぐり議論になっている単純所持規制についても踏み込んだ内容になっている。

 「青少年性的視覚描写物」は「風潮を助長すべきでないこと」、児童ポルノは「根絶」と、それぞれ都の責務(責務はそれぞれ、事業者、都民と連携して果たすことになってる)についてのトーンは異なるが、基本的には「18歳未満を性の対象とすること」について、フィクションも含めて不健全=有害視することを明確に盛り込んだ“画期的”な内容だ。都で施行された場合、全国に影響が広がる可能性もある。

「非実在青少年」は「範囲が極めて主観的かつ不明確」──山口弁護士

「松文館事件」で被告側弁護人を務めた弁護士の山口貴士さんはブログで問題点を指摘した。

 「非実在青少年」の定義については「範囲が極めて主観的かつ不明確であり、青少年と性をテーマとする作品であれば、全て該当しかねない」として、条項の削除か、定義の明確化、「著しく」などの制約文言の追加が必要としている。

 「青少年性的視覚描写物」については「18歳以上の者が特定の表現を受容・消費すること、表現行為を行うことについて公権力が評価せず、干渉しないことは、青少年健全育成制度の合憲性の基礎となっている大原則」だとして、これに踏み込んだ「青少年性的視覚描写物」は条例に盛り込むべきでないと批判する。

 そのまん延の抑止を都がその責務としたことも「都に対し、成人の有する知る権利と表現の自由を抑圧する義務を課するものとも言える」と批判。こうした条文が、公共施設が同人誌即売会などの利用を断る口実になりかねないことを指摘し、「都が表に出ることなく、市民や企業を表に出した表現抑圧のための道具となりかねず、表現者から自由な発想と表現のための場を奪い、我が国のコンテンツ産業を抑圧しかねない」と懸念する。

青少年のネット利用関連で新規定も
 改正案には、青少年のインターネット利用に関する規定も盛り込まれた。いわゆるネットカフェなどに対し、フィルタリングソフトなどを搭載したPCの設置に努めるよう規定している。

 また携帯電話事業者は、契約者に対し青少年の利用の有無を確認するよう努めるとした。フィルタリング対応の普及に努める未成年の使う端末について、保護者がフィルタリングサービスを使用しないと申し出た場合、保護者にその理由を書面で提出する義務を課すほか、都知事は携帯電話・PHS端末について、フィルタリングなどの機能を備えていると認めたものを推奨することができるとしている。

 改正案を受け、民間で携帯向けサイトの審査を行うモバイルコンテンツ審査・運用監視機構(EMA)は近く意見を表明する予定だ。

3月末に迫る採決
 都は改正案を都議会に2月24日に提出。野上ゆきえ都議(民主党)のTwitterによると、改正案は3月18日に都議会総務委で審議される予定だ。都によると、19日に同委で採決、30日に本会議で採決が行われる予定。本会議で可決されれば、10月1日から施行される。

ネットで広がるアクション
 ネットでは改正案に対するアクションが広がっている。谷分章優(himagine_no9)さんは都議会図書館で複写した改正案をネット上に公開した。

 AGathoclESさんは、問題の概要やリンク、陳情先などをまとめたまとめサイトを開設。ブログ「3日坊主のメイドさん」では、この問題について議論した集会の様子をリポートしている。兎園さんはブログに、現行の条例と改正案を対比して全文掲載し、「違憲でない項目を探すことの方が難しいくらいの凄まじい規制のオンパレード」と批判している。

 掲示板などでは、各都議に対しメールで意見を表明するなどの活動が盛んに報告されている。

日本の表現が窮屈に」――現場から反対の声

「バカバカしくて、そもそもこんな案が出るだけでも大丈夫か?と思う」――漫画家の高河ゆんさんはTwitterで批判。ゾーニングの問題だと指摘している。

 漫画評論家の藤本由香里さんはmixi日記で問題をまとめ、反対の声を挙げている。

「キャラクター表現へのはっきりとした蔑視」
 漫画編集者出身のノンフィクションライター・堀田純司さんは、ITmediaの依頼に対し、以下のコメントを寄せた。


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 僕は20代のころ、ある青年漫画誌の編集部に所属していましたが、そこでは漫画について“人間の欲望の全肯定である”と教わったものでした。漫画表現が人間の欲望の反映であるならば、当然そこには性的な表現も含まれます。今回の改正では「非実在青少年」として、キャラクター表現における性描写を規制の対象にしていますが、これには2つの問題があると感じます。

 まず1つは、同人活動などでは、非商業ゆえに大胆な描写の漫画表現が存在します。しかしこうしたアマチュアのファン活動こそが、日本のキャラクター表現の豊かな土壌となっており、今回の規制はこの分野を直撃します。もう1つは、何が有害なコンテンツであるのか、その基準があいまいであること。表現とは時に死と愛に踏み込むものであり、読むものの感情にゆらぎを与えるからこそ表現と言えます。

 こうした領域で、何が有害で有害ではないのか、本当は誰にも判断することは難しいものです。難しいからこそ、改正案の文面もあいまいになっていることを、この案を考えた人は自覚したほうがいい。あいまいな領域を恣意的に「有害である」と解釈されてしまう風潮が高まれば、日本の表現はずいぶんと窮屈なものになるでしょう。

 大手出版社からの刊行物でも、各都道府県で有害図書に指定されることは案外、少なくないものです。それが出版物の大多数が消費される東京都でこうした規制が行われると、表現の活力が大きく奪われかねない。高名な文芸作品とされているものでも、アウトのものが出てくるでしょう。文字はよくてキャラクター表現だとアウトなのでしょうか?

 実写による児童ポルノとは違い、キャラクター表現には被害者はいません(前者への規制は必要だと考えます)。また青少年への悪影響も検証されてはいません。こうした検証が行われないままに、かくも感情的な規制が行われるのは、上のような問題があり、あまりにも影響が大きいので賛成できません。

 「青少年を性的対象として扱う図書や映画がまん延させることで性的対象として扱う風潮」という内容が改正案には出てきます。この風潮を「助長すべきではないという機運の醸成に努める」とされているのですが、しかし、そもそもそんな風潮は存在するのでしょうか。

 アダルトゲームメーカーはどこも経営がかつかつ。5000本売れたら大成功という、ささやかなペイラインでせめぎあっているのが実情です。

 逆に一般ユーザーにまで話題になるほど売れている作品は、むしろ性表現はソフトです。漫画作品でも同様です。ハードなものも存在しますが、これらはむしろニッチといってよく、「青少年を性的対象として扱う図書や映画がまん延」という風潮が、本当に存在するかどうか大いに疑問を感じます。それで売れるのなら、むしろ自分も参入したいくらいですが、そんな簡単なものではないでしょう。

 世界を白と黒に分け、黒いものを抹消すれば物事がよくなるという思考は非常に危険です。もし青少年によくない影響を与える風潮があるのであれば、それは虚構ではなく、現実そのものでしょう。何の検証も行われないままに不快な虚構を抹殺してしまうのではなく、どんなに回り道であっても、この現実社会そのものをよりよくしていくことが、文化的な国のやり方ではないでしょうか。

 今回の改正案については、オタク文化への無理解というよりも、キャラクター表現へのはっきりとした蔑視を感じます。もともと、漫画の神様、手塚治虫さんは、自分が医学博士号を持つことで、漫画への偏見が収まればと考えていたといいます。永井豪さんは、「ハレンチ学園」(1968年連載開始)のときのバッシングは、身の危険すら感じるほどだったと語っています。

 バブル崩壊後、失われた10年を経てすっかり実業分野に自信を失った日本社会は、キャラクター表現が海外で評価されているのを知り、それを「クールジャパン」などともてはやすようになった。そして、かつてのような偏見、批判は下火になったかのように見えました。しかし、ある特定のイデオロギーに凝り固まった人や、文化に対して視野の狭い人が集うコミュニティでは、かくも古色蒼然とした偏見が、まだあることを痛感させられます。白昼にネッシーが多摩川をゆうゆうと泳いでいるのを見た気分、といいましょうか。




☆☆☆☆☆☆以上引用☆☆☆☆☆☆



コレに賛成する奴は、シーシェパードを笑えないし、将軍様や朝鮮総連を批判できない。
基本的事実を確認しておこう。

http://www.npa.go.jp/hakusyo/h21/honbun/pdf/21p01300.pdf
↑13歳未満の犯罪被害はほぼ横ばい。

http://www.npa.go.jp/hakusyo/h21/honbun/pdf/21p01100.pdf
↑強姦や強制わいせつも、むしろ減少傾向にある。

で、なぜ今、そういう規制の話が出る?
例えば、三日に1度の割合で小学生が殺されたり強姦されたりするなら、その可能性を排除するためにあらゆる手段を尽くすべきで、その手段の一つに表現規制が盛り込まれても俺は反対しない。やれることは何でもやるべきだ。

だが、どう考えても、現状と今回の規制は関連が無い。
データを無視し、歴史を無視し、自然法(思想・信条の自由)を無視する。シーシェパードや将軍様とどこが違うのか?

で、別に俺はロリ漫画・ロリアニメが好きというわけではなく、単にズリネタとしてエロ漫画を活用している人だが、このままではズリネタがエロビデオのみになってしまうと危惧している。

というのは、こういうのはそれこそ麻薬における「ゲートウェイドラッグ」みたいなもので、「ロリ絵規制」→「2次元エロ絵全般規制」→「じゃあ3次元も規制」と規制が広がるのが歴史的に見て一般的、最もポピュラーだからだ。
例えばアジア太平洋戦争において、国家総動員法はある日突然できたのではない。

また、俺は、同じ二次元愛好者として、ロリ絵愛好者達に連帯意識を持つ。「ロリ絵だけの規制か。じゃあ関係ないや」と対岸の火事的には見れない。

それにしても、暴力表現や性表現がなぜかくも問題とされるのか。
何度も言っていることだが、アメリカのア・パーフェクト・サークル(トゥールのサイドプロジェクト)のPVは放送禁止となったが、その内容は「全てニュース番組の切り張り」だ。
じゃあニュースも放送禁止か?
ニュースから暴力を一切除くのか?

 もちろん、制作する側に問題が無いとは言わない。いたずらに犯罪を助長するような表現は避けるべきだ。
 だが、何かを表現するに当たって、目的のためにその表現が避けて通れないならばためらう必要は無い。それが「ロリを志向する連中をターゲットとして商品を作ろう」も立派な目的だ。無意味に犯罪を助長するようなものなら問題があるが、今までそういった作品にお目にかかったことは無いし、人間には学習能力と常識があるから、そういったものを1つや2つみたところで人生観が変わるわけでもない。むしろむやみやたらに人を落としいれ、「人を笑わせる」のではなく「人に笑われる」ような低俗な笑いを取るバラエティー番組の方がよっぽどまずい気がする(よくあれで「芸人」と名乗れるものだ)。

 歴史的に見れば、「宗教」「ナショナリズム」「国民意識」といったマジョリティが、圧倒的に殺人者の立場であった。歴史における「虐殺」は、常に「まとも」な人々から、「異端」の人々へと向けられる殺意の帰結であった。
 今回の条例はその歴史に連なるものであることは間違いない。幸い現段階では「敵意」に留まってはいるが。

 幸い、今の世にはネットがある。もはや「異端」は「声無き人々」ではあり得ない。声だけは出せる。問題は、そこからさらに一歩踏み出せるかだ。声だけでは、やっぱり、権力という国家暴力に対しては無力だろう。
# by g2005 | 2010-03-15 01:30

近況

もうどのくらいこのブログ放置していたかなあ(笑)

近況。
→派遣で働いていた
 →リーマンショックで仕事なくなる
  →一年間半ば失業しながら(時々派遣やバイトなど)就職活動
   →2010年頭から正社員の仕事
    →鬼のようなサービス残業&休日出勤で肋間神経痛を患い、顔をしかめながら仕事する毎日

いやあ、疲れるね。
# by g2005 | 2010-03-15 01:30

超久々

前回書き込みから退職後、派遣として世の中を転々としてきた。
今後はそのことを適当に書き散らして行こうと思う。
今は無職で、転職活動中だが、28歳&不景気ということでかな~り厳しい。
書類選考は70社、面接は15社くらい受けたが、内定が出たのは2社。
うち1社は「すいません、もっといい人来ちゃったんで」と取り消し。
もう1社は求人票と全然違う仕事だったのでこっちからパス。

うまくいかないもんだね。
# by g2005 | 2009-06-02 09:52 | 主張

ハローワーク

 実に久々の更新である。
 サービス残業にうんざりし、半ばアル中となりかけたことから3月に退職した。

 2月末、まず上司に「サービス残業が多いので辞めたいです」と退職の相談をしたところ、「では3月の締め日(20日)で退職にしようか」ということになり、部長も了承した。
 その3日後ぐらいに部長から「今すぐ辞めろ」と言われた。さすがに今やっている仕事もあるし、せめて明日にということになり、翌日退職した。おそらく会議で「そんな茶員はさっさと辞めさせろ」ということになったのだろう。

 こんな会社はさっさと辞めて良かったと思うし、辞めた今ならば、なぜもっと「戦う」ことをしなかったのかと後悔することもある。
 でも、給料・社保・税金その他を全て会社に丸投げすることにより、「首輪」を繋がれているサラリーマンにとってそれは無理だ。

 今日は職安で説明会を受けてきた。内容は、
1 パワーポイントで職員が自作したと思われる「早期就業のメリット」の説明
2 ビデオ 雇用保険(特に受給資格・受給期間・不正受給について)
3 職員による具体的な書類の書き方の説明

 腹が立った。この説明会のベクトルは、目先の失業率を減らすことと、雇用保険受給額を減らすことにのみ向いている。
 
 まず、雇用保険の給付を受けるためには幾つかの条件がある。例えば「雇用保険加入期間が半年以上」などだ(詳しくはグーグルで検索されたし)。
 また、退職には2種類ある。「自己都合」と「会社都合」だ。「倒産」「リストラ」の場合、や「月45時間以上の残業が3ヶ月以上継続してあったと認められる客観的な証拠」「給料の不払いの客観的証拠」あるいはパワハラなどの客観的証拠があれば、会社都合として認められ、離職票を職安に提出して1週間後から雇用保険が給付される。
 一方、それ以外の退職はすべて「自己都合」とされ、「自分の都合で辞めたのだから、再就職するための準備期間を取れたはずだ」と判断され、1週間+3ヶ月の「待機期間」ののち、雇用保険の給付が開始される。職安職員が「早期就業」をすすめるのは、待機期間中に就職させれば給付しなくて済むからに他ならない(ただし、早期就業者には「再就職手当」が出る場合がある。残り雇用保険給付額の3分の1程度)。
 そうして、この待機期間中や、雇用保険給付中には、就職活動を行わないと給付がストップする(待機期間中に行わなかった場合は給付の開始が遅れる)。就職活動は、職安で開催されるセミナーや職業相談、職安による相談や、新聞の求人などから自分で応募し面接に行った場合、就職セミナーで個別相談を受けた場合などがカウントされ、職安職員はランダムで失業者の就職活動を調査し、「本当に面接に行ったか」などを面接先企業に問い合わせたりする。基本的に、人間を疑う態度である。
 みんなの保険料と税金でまかなわれている以上、不正を厳しくチェックするのは当然と言えよう。しかし、BSE問題が起きたとき、国は、国内の米国産牛を買い上げる措置を取った。あの時、肉業者に対してこのような説明会を設けたか?「出席しないと買い上げませんよ」と言ったか?国は様々な給付を行っている。他の給付でも同様に「おまえら不正すんなよ」とやっているのか?少なくとも俺は寡聞にして知らない。なぜ我々失業者や、生活保護者だけがこのような扱いを受けるのだ?
 失業者は差別されているなあと思った1日でした。
# by g2005 | 2007-03-27 19:06

ボーナスに関する考察

 明日ボーナスが出るらしい。月給×2.2×能力(平均は1)らしい。俺の勤める会社は一応業界最大手なのだが、まあもらえるだけ有難いとも言える。ちょうど今日(昨日)まで朝日新聞で連載されていた派遣関係の連載では本当に酷い実態が綴られていた。
だが、俺は1日2~3時間(月40~60時間)残業しているが、残業代ゼロである。あとでもらった残業代とも言える。
なぜボーナスはちゃんと払うのに残業代は払わないのだろうか?法的には、ボーナスを払わなければならないという規定は無いはずだ。だったら、残業代はしっかり払って、ボーナスは気持分だけ、というのが本来の有り様ではないのだろうか。

 思うに、使用者の側には、以下に挙げるようなメリット?がある。
・労働者は、残業代を出すようにすると、残業代目当てでダラダラと仕事をするようになるのではないかという思いこみから、残業代をカットした方が効率が上がると思っている。
 →俺の勤務する会社では、7月ごろから残業代が全額カット(それまでも月10時間までという秘密内規があった)になったが、誰一人としてそれまでより早く帰るようになった者はいない。逆に「ふざけんなよ」と搾取に憤る者の方が多い。要は、中間管理職がしっかりしていればそんなことにはならない。
・ボーナスという形で出すと、労働者に対して「特別にくれてやっている」という感じがする。
・ボーナスという形ならば、業績がちょっとでも悪ければ速攻でカットできる。


 また、これは俺の勤務する会社の話だから一般化はできないが、社長はもう少しで引退して、引退後は東南アジアあたりで学校を作るらしい。最近ジョージ・ソロスやビル・ゲイツが似たようなことを何百倍のスケールで発表したが、流行なのだろうか。彼ら使用者には、共通の認識がある。

・儲けた者勝ち。(基本的にホリエモンと変わらない。)
・儲け方には多少強引さがあっても(搾取構造があっても)OK。なぜなら、労働者に金をやってもろくな事に使わず、だったら自分が慈善事業に使った方が効率よく社会を改善できる。
・なぜ労働者が金を持ってもろくな事に使わないかと言えば、彼らがアホだからである。

 こうした認識は使用者特有の物ではない。ノーム=チョムスキーが『メディア・コントロール』の中で指摘しているように、自由主義者やその親戚は基本的にこの考え方だ。知識人は公共の事柄に対して冷静かつ客観的判断が出来るのに対して、大衆は「とまどえる群れ」である、というように。マルクス主義者も「大衆=バカ、知識人=大所高所に立って判断できる」という認識では全く同じである。彼らには「自身が悪の根元の一部である」という認識が決定的に欠けている。もちろん、必要悪という部分もある。有能な使用者が社会を引っ張るという竹中平蔵式構図はある程度は有り得る。結局程度の問題で、必要悪を通り越して、悪の権化と化している者が多いと言うことだ。

 だが、こと「金の使い方」に関しては、我々労働者よりも、利用者の方が賢いということを俺は認めざるを得ない。なぜなら、彼らは「金を使う」ということにおいて、労働者よりもはるかに高い経験値を持っているのだから。我々は経験がない。大金を持ったことがない。もっとも、その理由の幾分かは彼ら使用者のせいなのだが。
 だが、見落としている点がある。使用者は数えるほどしかいないが、労働者はもの凄く多いということだ。多くの視点があり、多くの経験がある。なぜ自分の視点のみが唯一至高で、自分の経験を絶対化するのか。
 東南アジアに学校を作る?そんなこと俺にはできないし、しない。例え100億持っていても。それよりも、通勤途中で毎日オープンビバーク(青空の下での露営)しているおばあちゃんに、寝袋の1つでも差し出したいと思う。俺には借金があるので、それを返す目処が立ったら、今使っている寝袋を提供したいと思っている。
# by g2005 | 2006-12-08 01:03 | 主張