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身近な「いじめ」と社会

 金曜にJR大塚駅から家に帰る途中にある中学校で、1階の廊下や体育館に明かりがついていたのを見た。体育館はたまに地域の人がバレーなどで使っていて、夜遅くまでついていることもあるが、学校の校舎まで明かりがついていた。
「なんだろーな?」と思ったが、こういうことらしい。以下参照。

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いじめ自殺予告日パトロール 「相談して」先生ら待機
 いじめを苦にした自殺予告の手紙が文部科学省に届けられた問題で、予告日にあたる11日、手紙が投函(とうかん)された可能性が高い東京都豊島区では教育委員会や学校、警察が校内を巡回したり、周辺をパトロールするなど警戒態勢を敷いた。

 問題の手紙は6日午前、文科省に配達。差出人は不明で「8日までにいじめの状況に変化がなければ11日に学校で自殺する」という内容だった。

 豊島区を管轄する警視庁の3署は学校周辺を中心にパトロールを実施。また、豊島区教委では職員が10日夜から泊まり込み、24時間態勢で対応している。各校でも管理職の教諭らが宿泊しており、同教委は「校舎の電気をつけて職員が待機することで、校内に相談できる人がいることを伝えたかった」と話した。

 一方、手紙の消印が「豊○局」だったことから、大阪府豊中市でも、当初は市教委が10日夜から11日にかけて校舎内の巡回の強化などを予定。しかし、伊吹文明文科相が投函されたのは東京都豊島区である可能性が高いとの認識を示したことから、これらの取り組みは中止した。

 また、同府豊能町では、町教委の職員は11日、町役場に出勤していない。

 府教委は問題判明後の7日に府内の公立小中学校、盲・聾(ろう)・養護学校を対象に、自殺予告の手紙に該当する子供がいないか確認作業を実施したが、該当事例はなかった。このため、10日夜から府教委の担当者は待機して警戒したが、11日午前2時で帰宅。その後は、府内市町村教委や文科省と緊急連絡が取れる態勢をとっているという。

(11/11 16:00)(産経新聞)
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 なるほどね…。無給でご奉仕、お疲れ様です。本当に偉いと思う。俺ならぶち切れるだろうから。「大臣様も、教育長様も一緒に寝泊まりしましょうよ!」ってね。
 それにしても、中学生はええのう。資金繰りに困った中小企業の社長や、仕事に疲れ果てて明日に希望を見いだせないリーマンを中心に年間3万人以上が自殺している一方で、(形の上では)これだけ心配されているのだから。彼らの中には、ちょっとした融資や、ちょっとした労働条件の改善があれば、死なずにすんだ人もいたはずなのだが、そのことには完全に「記憶口」*送りにされている。当然だ。
 ガキを心配する教育現場・教育行政には金がかからない。美談ですらある。一方、融資や労働条件改善には金がかかる。
 ガキの一人や二人が自殺予告の手紙を出したぐらいのことに大騒ぎするのは、「バランス」を欠いているのでは無かろうか?今から10年前の「いじめブーム」の時にも全く同様のことあった(送り先の大部分は学校や教育委員会ではあったが)。いじめ自体を無くそうする努力は必要だ。重大な人権侵害である。本人にとっては「生き地獄」である。しかし、「生き地獄」は他にも色々ある。ぜひともマスコミにはそちらの方も流して頂きたいものだ。
 大体、社会が権力・経済力・武力によるいじめを容認しているのだから、社会のミニチュアたる学校社会でいじめをなくそうってのも無理がある話ではないだろうか。

 「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに対する回答の一つに、こういうものがある。「人を殺すことを容認するということは、自分が殺されても文句は言えないということになる。さらに、弱者は強者によって殺されることになるが、君がいつも強者の側に立てる保証はない」。
 つまり。お前が生き延びるために、人殺しはいかんのだよ、ということだ。殺人のモラル的側面を抜きにすれば、「全員が、全員を殺す権利を持つ」ということは平等であるが、実際には弱者は強者を殺せず、不平等な社会となる。だからよろしくないということだ。実際に方理論の本でこういった理屈が載っていた(なぜ自力救済が禁じられているかを論じた小論だった。)

 しかし、現実に社会は不平等である。身近な例では、社長は「サービス残業」により、労働者(俺)の時間を奪って「緩慢な殺人」を日々行っている。同じ階に住む痴呆症のばあちゃんは、風呂もガスもないこのアパートで一人暮らしをし、公的支援から見放されている。このアパートから200m歩いた所にある、一階が高級ホテルのロビーみたいになっている巨大マンションは全室完売だ。サンシャイン通りを抜けた先(東急ハンズの先の交差点)の首都高高架のガード下にある中央分離帯は、ホームレスがたくさん住んでいたが、先月あたりに有料駐輪場にされた。ガードレールと段ボールの向こう側が道路なので何かの拍子に落ちる可能性があり、排気ガスも酷い場所だったが、雨風をしのげ、ホームレス狩りも行きにくい「安全な場所」だったはずだ(そうでなければあんなに段ボールハウスが建つ筈かない)。ホームレスがいなくなって「美しく」なったわけだ。追いやられた彼らは、今どこに「住んでいる」のだろうか(何もあそこを「有料」駐車場にせずとも、駐輪問題はいくらでも解決のしようがあったと思う)。
 まことに「美しい国」ではないか。かつての「無らい県運動」*のごとく、社会的なマイノリティー(たいていの場合、マジョリティーにとってマイノリティーは「異物」であり、異物は醜く見える)は視野の外に追いやられ、彼らの意見や、下手をするとかつて存在したという事実は「記憶口」に放りこまれることになっている。

 CNNのニュースによるとアメリカが安保理で拒否権を発動し、賛成10、棄権4の決議案を記憶口送りにした。決議案は、『イスラエル軍が8日、ガザ地区北部の住宅地を砲撃し、住民18人が死亡した問題を受けて、カタールが提出。イスラエルにパレスチナ自治区での軍事作戦を直ちに中止するよう求める内容だった。決議案には一方で、ガザからイスラエル領にロケット弾を発射するパレスチナ武装勢力を非難する文言も盛り込まれていた。』という。もし、「人を殺してはいけない理由」が「自分も殺されるから」ということなら、反撃を食らうことはあってもほぼ殺される怖れのない「帝王」*とその友人たちは、殺人を思うままに行うことができる。

 「なぜいじめてはいけないのか?」教科書通りに答えるのは簡単だ。だが、世の中は教科書通りにできていない。むしろ、教科書を作った人々が人をいじめて涼しい顔をしているのが現実だ。

 なんだかいじめを結果的には容認するような文章になってしまった。今現にいじめられている子供にとって何の足しにもならないどころか、腹が立つかも知れない。現にあるいじめに対処しようと、泊まり込む職員を俺は尊敬する。そういうアプローチは大事だ。俺だって教育現場にいたら「いじめはダメだ」と絶叫し、色々理屈を並べ立てて絶叫を補強し、過去のケースにのっとり、加害者を出席停止にしたり、被害者を転向させたりといった対処をするだろう。いじめの原因をさぐり、ストレスや家庭環境、色々あるかもしれない原因を一つでも多く解決しようとするだろう。
 だが、俺は教育者でもないし当事者でもないから、言いたい放題だ。「いじめはよくない」「きみはひとりじゃない」…もうたくさんだ。世の中は理不尽な暴力と、ひどい搾取と、狂気じみた圧迫でできているし、個人に目を当てれば、65奥億の孤独がある。それをおざなりしてキレイゴトばかり言うのに腹が立っただけだ。でも、キレイじゃない世の中を見すえて、子どもたちに本当の事を語り、その上でもう少しマシな世の中を子どもたちに託せるよう努力するのが、まともなオトナの仕事ではないだろうか?だから、嘘ばかりつくのはやめろ!
 俺は嘘をつきたくないので、もう少し金を貯めたらよりよい生き方を探すべく失業者になる予定だ。早ければ3月かな…




*「記憶口」とは、オーウェルの「1984年」に出てくる穴。過去の雑誌・新聞と言った「記録」を抹殺するのに使う。「1984年」の書評としてはコチラ(http://blog.drecom.jp/tactac/archive/305)が優れている。「1984年」に画かれた社会の射程の広さを再評価しつつ、オーウェルの持つ人種主義的傾向を指摘している。
*「帝王」はチョムスキーの言い回しをパクった。
*無らい県運動とは、昭和初期に行われたハンセン病患者/元患者の強制隔離運動・政策。参考ページはコチラ

三重県の無らい県運動を具体的に記述しているページ。(http://www.pref.mie.jp/bunka/TANBO/hakken/page78.htm)

国立療養所菊地恵楓園のHP。ハンセン病全体について。
(http://www.hosp.go.jp/~keifuen/)
# by g2005 | 2006-11-12 18:00 | 主張

久々投稿

 約半年のブランクの間、まあ色々考え、思うところもありました。
 主張が無くなってしまったわけではありません。結局、どこへ行こうが何をしようが、本質的なことは何も変わらなかった、そのことを理解した半年間でした。

 九州にいることはエサもろくに食わせてもらえない犬でした。噛みつく牙はありましたが、噛みついたが最後屠殺処分です。そんな「冥土のみやげ」的な神風アタックはできませんでした。
 で、半年前、東京に来てみました。エサは多少良くなりました。でも、やっぱり飼い犬は飼い犬でした。結局俺は奴隷でした。「最強伝説 黒沢」に画かれているように、まさに「社会」の壁は厚すぎます。
 それでも俺は歌うでしょう。あきらめないでしょう。あきらめて心まで飼い犬になったほうが、おそらく出世したり給料がよくなったり、楽になったりするでしょう。他人をこき使って自分は楽をする人間になったほうが、TVを見て笑っていた方が楽でしょう。
 でも俺は、せめて心だけは人間でいたいのです。

 毎日サービス残業を強いる会社よ、俺のことを笑う上司よ、俺のことをキチガイ扱いする同僚よ、ありがとう。
 あなた達のおかげで、「敵」の姿を見失わないで済みました。
 危うくウマいエサに誤魔化されて、苦しい戦いを続けている人々のことを忘れる所でした。
 あななたたちのおかげで、ちょっとした個人的な好待遇という「小さなYES」の愚かさに気付くことができました。俺に必要なのは「小さなイエス」ではなく「大きなYES」でした。


 というわけで、今週からまた発信して行きたいと思います。
# by g2005 | 2006-09-09 01:25 | 主張

 「ワールドカップとか興味ないッス」って言ったら会社で変人扱いされた

ワールドカップの応援でケンカが起きたらしい。
しかもその理由が俺にとってさっぱり意味が分からない。以下はスポーツ報知より引用。
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<PV会場でサポーター暴発「負けたのに笑ってるんじゃねえ>
 サッカーW杯での日本代表の大逆転負けがサポーター同士の乱闘騒ぎまで巻き起こしていたことが13日、分かった。中田英寿選手の出身校・韮崎高がある山梨県韮崎市で行われた日本-オーストラリア戦のパブリックビューイング(PV)を終えた若者約10人がけんかに巻き込まれ、3人が負傷した。目撃者の証言によると、「負けたのに笑っているんじゃねえ」などの大声が聞こえたという。ジーコ日本のショッキングな敗戦が、一丸となっていたサポーターの内乱まで呼んでしまった。

 “中田の街”でサポーターの不満が爆発した。“舞台”となったのは、韮崎市の市営総合運動場体育館の駐車場付近。日本-オーストラリア戦のPVが終わった13日午前零時ごろ、「試合後で興奮していた」(同市職員)20代から30代の男性が、男女4人組のうち男性2人に対し、「日本が負けたのに、なにがうれしいんだ」と言い募ったのをきっかけに、サポーター10人を巻き込む乱闘に発展した。

 制止しようとした男性1人を含め3人が殴られ、うち1人が救急車で運ばれるなど、顔面や腕、足に打撲などのけがを負った。目撃者の話では「負けたのに笑ってるんじゃねえ」と言い争う声も聞こえたという。殴りかかった男性はそのまま逃亡。山梨県韮崎署では暴行事件として、負傷者や目撃者らから事情を聴いている。

 日本代表の中田英寿選手の母校、韮崎高校がある同市ではこの日、市営総合運動場体育館に大型スクリーンを設置。入場無料で、市民に限らず、誰でも観戦できたが、アルコール類の持ち込みは禁止。観戦者500人に市の職員40人が警備に当たるなど、万が一の暴動時の予防線は張っていたがトラブルは起こった。
(注:以下略)
2006年06月14日08時15分 スポーツ報知

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 前から思っていたのだが、なぜ見ず知らずの他人がスポーツをするイベントでここまで盛り上がってしまうのだろうか?
 仕事で疲れて、まだ週も半ば、たまにはスポーツ観戦でひいきのチームを応援してウサを晴らすか、というなら分からないでもない。そういう息抜きも必要だ。一部の天才を除いては、そこまで目的合理的には生きられない。
 だが、なぜここまで一体化できてしまうのだろう?このケンカを売った「サポーター」なる人々には「自分」がないのだろうか。なんだかファッショな感じがする。自分以外の人間がどう考えているかは関係ないらしく、自分と同じようにすることを求め、気に入らないから殴る。うーむ、ファッショ。自分の大事なモノをけなされたので切れたということなのか?熱狂的なサポーターにとって日本代表とはそんなに大事なのか?
自分じゃないのに?
 「兄弟」と呼んでいる自分の親友が笑われたら、俺も同じコトをするだろうけどね。それくらい大事なのかな?



 グリーン・デイはアルバム「アメリカンイディオット」で、あるパンクロッカーの生涯を描く。郊外に生まれた少年(ジーザス・オブ・サバービア)は孤独を抱えながら成長し、やがてパンクの季節を迎える。無敵のパンクロッカー「セイント・ジミー」はセックス・ドラッグ&ロックンロールな生活にハマる。
 渋谷陽一によると、カート・コバーンの死以降、パンクも含めた広義ロックはこの世界観を乗り越えることができなかった。パンクの季節が終わりに近づくと、若者は、イノセントを抱えながら矛盾に耐えられず死ぬしかなかった。
 だがグリーン・デイはそうは歌わなかった。確かに「セイント・ジミー」としてのパンクロッカーは「自殺」した。パンクの季節を「卒業」したかつての少年は家に帰るというストーリーだ。
 なぜ生きて帰らなければならなかったのか。グリーンデイのバンドメンバーが結婚し、子供がいるメンバーもいることと関係があるのかも知れない。家に帰って、親として子供に係わらなければならないし、子供が幸せになれるようクソッタレな世界をなんとかしなければならない。だから家に帰れとグリーン・デイは歌う。それは、ライブアルバム「ブレット・イン・バイブル」からも明らかだ。

 「たまにはパンクで暴れろよ。暴れてスカッとしたら家に帰ってやるべきコトをやれ」

 ワールドカップで熱狂するのもいいだろう。だがそこにお前はいないし、いくら熱狂しても何も変わらないという絶望があるだけだ。自分が主役であるべき場所-家に帰り、やるべきコトをやらないといけない。そうしなければ何も変わらないし、成長もできない。かりそめの一体感は味わえてもその後に残るのは空しさだけだ。その程度のことがまだわからないのだろうか。
 韓流オバサンも2次元オタクもジャニーズ追っかけもオウム信者もワールドカップ熱狂的サポーターもメンタリティーとしては同じだ。自分以外の何かに異常にハマってしまうメンタリティ。主体性の欠如。お前の人生において、一番大事なのはワールドカップで応援することなのか?


 まあ、人生で一番大事なことが見つからないから誤魔化しているのだろう、と俺は思う。本人たちは否定するだろうけど。
 俺にとって人生とはクライミングであり、バンド(といってもまだ2回しかセッションしていないけど)であり、それを一緒にエンジョイする仲間との時間だ。


 鈴木謙造というクライマーがいた。アルプスのリスカム北壁をフリーソロし、その下山中の気持ちを彼はこう書いている。

「僕は鈴木謙造でよかった。涙は出ない。涙は感情表現の極みでは無いみたいだし、終わった後の感情は、いつだって期待していたものとは違う」

 ワールドカップで騒いでいる人にこの文章の意味は分からないだろう。自分の力で望んでいたものを手に入れたとき、こんな気持ちになるのかも知れない。俺は残念ながらそこまでは打ち込んでいないし、全身全霊をかけてはいない。いつかは鈴木謙造さんの視点に立ちたいと思うし、近づけるだけ近づこうと思っている。一方、ワールドカップで熱狂的に応援している人々は、永遠に中田や稲本の視点に立てることはないだろう。近づくこともできないだろう。
# by g2005 | 2006-06-15 23:19 | 主張

自民党第二広報部化した読売新聞

以下は読売新聞の社説。
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[歳出歳入改革]「税収拡大で手を緩めてはならぬ」

 予想以上の税収拡大は大いに歓迎したい。だが、財政再建の手を緩めてはなるまい。

 景気の回復で企業の収益が伸び、個人所得もかなり改善してきた。その恩恵が法人税や所得税などの税収に及び、昨年度の国の税収は49兆円を超す見通しになった。

 財務省は当初、税収を44兆円と見込んでいたが、補正予算で47兆円に上方修正した。それを2兆円も上回るわけだ。

 今後も、税収の拡大傾向が続くとの見方が強い。所得税の20%を割り引く定率減税が今年から半減され、来年からは完全に廃止される。

 赤字に陥った場合、損失を翌年度以降の利益と相殺できる制度によって、法人税を納めてこなかった企業からの納税も復活するものと見られる。

 今年度予算の税収は約46兆円とされていたが、50兆円の大台に乗る可能性もある。バブル崩壊以降、長い間低迷してきた税収が、本格的な回復軌道に乗ることについては、素直に喜んでいい。

 ただ、気になる動きがある。7月にまとめる歳出・歳入一体改革案作りに取り組んでいる政府・与党の姿勢だ。

 財政の健全性を示す基礎的財政収支の赤字解消を、目標とする2011年度に実現するには、20兆円の財源不足を解消する必要があると試算されていた。不足分は歳出削減と消費税率引き上げなどの増税で、半分ずつ賄う方針だった。

 そこに税収増という追い風が吹いた。これを当てにして政府・与党は、財源不足額を
10兆円台半ばに下方修正する算段に入った。財源不足額が少なくなれば、必要な歳出削減や増税の幅も、それに合わせて手加減できるというわけだ。

 歳出削減や増税に伴う痛みを、極力回避したいのだろう。だが、ここで腰が引けてしまえば、緊縮ムードが一気に霧散する恐れがある。

 税収は景気次第で大きく変動する。実際、世界的な株価下落など、微妙な動きが起きている。好調な時点の税収を前提に置くと、あとで痛い目に遭うのは、過去の財政史が教えるところだ。

 見直さなければならないのは、むしろ財政再建の目標の方である。基礎的財政収支の赤字が解消しても、20兆円近い国債発行が続く。発行額を極力抑え、積もりつもった国債残高を着実に減らすような目標に、設定し直す必要がある。

 景気動向にあまり左右されず、確実な税収が望めるのが消費税だ。財政再建を進めるには、消費税率の早期引き上げが欠かせぬことを改めて銘記すべきだ。

(2006年6月12日1時30分 読売新聞)
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 それによる国民のメリット・デメリットを全く示さずに、とにかく消費税上げと歳費(=おそらく社会保障費)削減を主張している。これが日本で(ということは世界で)1、2を争う発行部数を誇る大手新聞社なのか…。
 消費税率アップは景気後退を招くおそれがある。加えて、タダでさえ所得格差が広がっているのにこれ以上底辺~低所得層を虐めてどうしようというのだろうか?今の俺は多少所得が上がったので耐えられるが、去年までの俺なら本当にヒーヒー言ってるだろう。定率減税半分にカットされて、来年には全額カットらしい。そうすると、俺の手取りがまた下がるわけだ。読売の社員も同じ境遇の筈なのにね。まあ上司がこわいんだろうけど、噛みつく勇気が無いならジャーナリストなどと名乗らないで欲しい。俺たち労働者は確かに首輪をつけられている。だが噛みつく勇気、引っ掻く力を失ったら本当に奴隷だ。俺はせめて飼い猫でありたい。メシはもらってるし、たまに猫なで声を出したりもするけど、いつでも引っ掻く準備はできてるぜ。
# by g2005 | 2006-06-13 00:56

ええ~

 【バグダッド8日共同】イラクのマリキ首相は八日、イスラム教スンニ派武装集団「イラク聖戦アルカイダ組織」を率いて大規模な無差別テロを繰り返し、香田証生さん=当時(24)=殺害にも関与したヨルダン人、アブムサブ・ザルカウィ容疑者(39)が七日夕、首都バグダッド北方で米軍の空爆により殺害されたと発表した。

 治安悪化の元凶とされるザルカウィ容疑者を殺害、治安閣僚がようやく決まったことは、治安回復を最大課題とする新政府にとり大きな前進。支持率低迷に苦しむブッシュ米政権が「対テロ戦争」の成果を誇示する格好の材料ともなりそうだ。

 ただ宗派対立を背景にしたテロが続発する中、AP通信によると、八日もバグダッドの市場などで少なくとも計十九人が死亡する爆弾テロが発生、早期に治安が改善する見通しは立っていない。

 「アルカイダ組織」を名乗るグループも同日、ザルカウィ容疑者の死亡を認める声明をウェブサイトで発表。ハリルザド駐イラク米大使は同容疑者殺害を「大きな成功」と評価した。

 首相らによると、ザルカウィ容疑者は中部バクバ近郊の民家で、イラク軍と米軍の合同作戦により、女性二人を含む側近七人とともに殺害された。同容疑者は空爆で重傷を負い、その後死亡、遺体はイラク当局に引き渡された。指紋や顔の特徴などから本人と確認された。十日ほど前に地元住民らから同容疑者の所在について情報提供があったという。

 ザルカウィ容疑者率いる組織は二〇〇四年十月、国際テロ組織アルカイダ指導者のウサマ・ビンラディン容疑者に忠誠を誓う声明を発表。その後も米軍やイラク治安部隊、シーア派などへの攻撃を呼び掛けていた。米軍は二千五百万ドル(約二十八億五千万円)の懸賞金付きで行方を追っていた。

 
【埼玉新聞】
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 新イラク・そして現アメリカは本当に法治国家なのか?
1.カザルウィさんがテロリストで、かつ犯行をおかしたという決定的な証拠が提示されていない。
2.仮にカザルウィさんが殺人を犯したテロリストだとしても、それらは当然法廷で立証され、法に基づいて裁かれなければならない。このようなやり方はクリアチャンネルやフォックスTVで言うところの「イスラム原理主義」の方法と何ら変わらない。
3.爆撃できるくらいなら、まずその地域の封鎖+空挺部隊の降下で逮捕することだって可能のはずなのになぜそれをしなかったのか。
4.仮にカザルウィさんが万死に値するテロリストで、かつ緊急に爆撃して殺害しないと逃げられる事態だったとして、周りの者は果たして殺されるに値するほどの罪を犯していたのか(2の観点は置いておいて)
 ざっと考えただけでこれだけ疑問が浮かんできた。この調子で都合の悪い人物を「テロリスト」にして次々と殺すことが可能なのではないか?声明を発表したり、ウェブ上で呼びかけるなんてコトは誰だって何時だってできる。情報機関がでっち上げることなど造作もないだろう。(もちろん裁判も完全ではないが)

 そして、もっと怖いのは、教育学で言うヒドンカリキュラム。「自分さえ納得できる理由さえあれば、暗殺してもよい」ということをこの事件は全世界に広めている。

 日本人を手にかけたかも知れない男だからこそ、その動機や経緯を知りたいと思うのだが。
# by g2005 | 2006-06-10 01:04